日本カイロプラクティック史(仮称)年表 原案

業界統一「正史」編纂に向けた修正追記へのご協力のお願い

当分科会は、「カイロプラクティック制度化推進会議」の第8回全体会議(2019年2月)の決議により設置された「業界史分科会」で、これまでカイロタイムズ編集部によるカイロプラクティック業界史編纂に協力して参りました。
この度、「日本カイロプラクティック史(仮称)」原案について検討協議の結果、今後の編纂作業を当分科会に移管し、カイロタイムズ編集部作成の原案を再編纂することで、業界統一「正史」への錬磨を目指すことになりました。

先ずは、広く業界各位からのご意見を募るために、カイロタイムズ編集部のご協力により「カイロタイムズWebサイト」へ暫定公開いたします。
ぜひとも、多くの業界関係者にご高覧いただき、修正追記のご教授ならびに情報提供を賜ることで、これまでの業界各位の様々な活動を網羅した業界統一の「正史」として記録に残したく存じますので、ご協力をお願いいたします。

尚、今後の「正史」編纂に向けては、原則、カイロタイムズ編集部「日本カイロプラクティック史(仮称)年表」編纂方針を踏襲いたします。また、方針を逸脱する修正追記につきましてはご希望に添えない場合がございますので、予めご了承ください。

2021年8月20日
カイロプラクティック制度化推進会議
業界史分科会 会長 中垣光市

《カイロプラクティック制度化推進会議 業界史分科会メンバー》
氏名 代表委員所属
中垣 光市 業界史分科会会長、DC連絡協議会代表委員、試験委員会代表委員
阿知波 正人 日本カイロプラクティック師協会代表委員
伊佐 和敏 座長、個人会員クラス1代表委員
井内 隆詞 一般社団法人KCS代表委員
片山 隆 カイロプラクティック業協同組合連合会代表委員
木村 功 個人会員クラス3代表委員
齋藤 浩一郎 パシフィックアジア・カイロプラクティック協会代表委員
斎藤 信次 個人会員クラス4代表委員
冨金原 伸伍 一般社団法人日本DC手技療法協会代表委員
山田 雄次 事務局長、個人会員クラス2代表委員
《「日本カイロプラクティック史(仮称)年表」編纂方針》
  • いつ、どこで、誰が、なにを行ったか、客観的事実を簡潔に記載する。
  • 国内の団体や学校の設立については、正式名称および略称ならびに代表者氏名を明記する。
  • 施術院の開業や教職への就任といった個人史に類する事項は記載しない。ただし業界にとって画期的な事項は例外とする。
  • 出版物については、学術的価値および社会的な影響力を有する原典を掲載するものとし、翻訳書や団体の会報誌、近年国内で発行された膨大な関連図書は割愛する。ただし国内のカイロプラクティック教育における重要図書に関しては例外とする。
  • 団体設立や解散以外の諸活動は、業界全体および社会に影響を与えた主要なトピックスに限定して記載する。小規模セミナーや勉強会ならびに各学校のカリキュラムや年次制の変更などは割愛する。
  • 公的機関における不祥事、医師法違反の事件・事故などはできるだけ記載する。
  • 特定の団体や個人に対する誹謗中傷にあたる内容を掲載しない。
《「日本カイロプラクティック史(仮称)年表」参考文献》
  • 竹谷内宏明『カイロプラクティック用語集』、科学新聞社、1997
  • 日本カイロプラクティック総連盟『カイロプラクティック 日本の20世紀』、JCAジャーナル 181、2000
  • CFJ The Chiropractors News 創刊号、日本カイロプラクティック連絡協議会、1999
  • 池田冨士夫『カイロプラクティック事典』科学新聞社、1983
  • 丁宗鐵監修、『月刊 手技療法』編集部編著『手技療法年鑑 2000年度版』たにぐち書店、1999
  • 丁宗鐵監修、『月刊 手技療法』編集部編著『手技療法年鑑 2008年度版』たにぐち書店、2008
  • 『カイロジャーナル』34-91号、科学新聞社、1998–2018
  • 『カイロタイムズ』1-124号、日本医科学出販株式会社、1998–2021
  • カイロジャパンどっとCOM、http://archive.fo/bbxU(閲覧:2021年6月30日)

※その他、掲載された各団体の公式ウェブサイトを参照

《お問い合わせ》

本件に関するご意見、ご質問、お問い合わせにつきましては、カイロプラクティック制度化推進会議 業界史分科会宛にお願いいたします。
なお、編纂作業の都合により誠に恐れ入りますが、当分科会へのご連絡はeメールの書面に限定させていただきますことをご承知おきください。

カイロプラクティック制度化推進会議 業界史分科会:info@clpc.jp


日本カイロプラクティック史(仮称)年表 原案

元号 日本 海外
1873 明6
  • 月刊医学雑誌『和蘭医事雑誌』創刊。
  • 太政官令により整骨師は医者として認可される。
1874 明7
  • 文部省は東京府、京都府、大阪府に医制を公布する。
  • アンドリュー・テイラー・スティル(A.T.スティル、1826-1916)は、48歳の頃オステオパシーを創始。66歳の頃アメリカン・オステオパシースクールを設立。
1883 明18
  • 医術開業免許試験規則・医師免許規則を定める。
1885 明20
  • 入歯、歯抜、口中療治、接骨営業者取締方により、医術開業試験合格者以外の新規開業が禁じられた。
1891 明24
  • 東京府令の入歯、歯抜、口中療治、接骨営業者取締規則の制定により、「接骨科」等の看板掲示が禁じられる。
1895 明28
  • ダニエル・デビッド・パーマー(D.D.パーマー、1845-1913)が50歳の頃カイロプラクティックを創始。
1897 明30
  • D.D.パーマーは、オハイオ州ダベンポートにPalmer School of Chiropractic(パーマー・スクール)を開校。
1905 明38
  • アメリカ・ミネソタ州で初のカイロプラクティック法制化。
1906 明39
  • 医師法および歯科医師法が公布される。明治7年の医制では両医師の区別がなかった。
  • D.D.パーマーの息子、バートレット・ジョシュア・パーカー(B.J.パーマー)がパーマー・スクールの権利を譲り受ける。
  • J.ハワードらはオハイオ州ダベンポートにNational School of Chiropracticを開校。のちのナショナル健康科学大学。他6校のカイロプラクティックの学校が各地で開校。
  • O.G.Smith、S.M.Largworthy、M.C.Paxonは、カイロプラクティック史上初の教科書『Modernized Chiropractic』をLaurance Pressから出版。
1907 明40
  • 日本人初カイロプラクター、森久保重太郎(1876-1933)がパーマー・スクールを卒業。ウィスコンシン州で開業中に無資格診療で告訴されるが無罪となる。
  • カナダで最初のカイロプラクター、Ameda J.Haldemanが開業。
1908 明41
  • National School of Chiropracticがオハイオ州ダベンポートからイリノイ州シカゴに移転。
  • テキサス州サンアントニオにTexas Chiropractic Collegeが開校。
1909 明42
  • パーマー・スクールでX線診断装置導入。
  • J.V.マクマニスは、Mcmanis Tableの特許を取得。のちにJ.M.Coxにより改良され、カイロプラクティック業界へ広まる。
1910 明43
  • D.D.パーマーが『The Chiropractor’s Adjuster』を出版。
  • B.J.パーマーとJ.C.ウォシャートはメリック・システムの考え方を提唱する。
  • アルバート・エイブラムスがスポンディロセラピーを考案する。
1911 明44
  • 按摩術営業取締規則、鍼術灸術営業取締規則が制定される。
  • Los Angels College of Chiropractic(ロサンゼルス・カイロ・カレッジ)が開校。後に南カリフォルニア健康科学大学となる。この頃、アメリカでのカイロプラクティック教育は通常1年。
1912 明45
大元
  • National School of Chiropracticはカイロプラクティック教育機関で初めて人体解剖をコースに導入。
1913 大2
  • カイロプラクティックの創始者D.D.パーマー死去。
  • アメリカのオクラホマ州、ノースダコタ州、カンザス州でカイロプラクティックが法制化される。
1914 大3
  • 田中酉造がパーマー・スクールを卒業。
1915 大4
  • B.J.パーマーは「メジャー・マイナー」の理論を提唱。
1916 大5
  • 柔道指導で渡米しパーマー・スクールを卒業した河口三郎が帰国。日本に初めてカイロプラクティックを伝える。
  • National School of Chiro-practicは物理療法のコースを他校に先駆けて導入。1910~1920年まで2年制(年6ヵ月)1,584時間。
1917 大6
1918 大7
  • 柴崎吉五郎、山田信一らが日本にオステオパシーを紹介する。
  • 河口三郎が神奈川県知事を治療したことが契機となり、神奈川県で脊椎調整術営業取締規則が初めて制定される。
1919 大8
  • 芹野伊勢吉はパーマー・スクールを卒業。
  • オーストラリアのシドニーで最初のカイロプラクターが開業(ハロルド・ウィリアムズ)。
  • パーマー・スクールは、1年から3年(年6ヵ月)に教育年限を変更する。
1920 大9
  • マッサージ術・あん摩、柔道整復が免許制度となる。
  • 山田信一『山田式整体術講義録』を発行。
  • 金沢督はパーマー・スクールを卒業。翌年帰国する。
  • アメリカのカイロプラクティック学校は3年制2,735時間に変更する。
  • National School of ChiropracticはNational College of Chiropractic(ナショナル・カイロ大学)に改称。外来診療に血液検査とX線検査設備を導入。
  • アメリカ医師会(AMA)のカイロプラクティック弾圧が強まり、カイロプラクターが無資格医療行為として次々と投獄される。
  • この頃アメリカには79校のカイロプラクティック大学があった。
1921 大10
  • 大澤昌壽はナショナル・カイロ大学を卒業し帰国。
  • 小平粂重はカリフォルニア州のラトレッジ・カイロ・スクールを卒業し帰国。
  • 約600名のカイロプラクターのうち、450名が法廷へ引き出され、無免許治療の罪で有罪判決に処せられる。彼らは罰金刑ではなく、服役刑を選択する。
1922 大11
  • 桜井真市はパーマー・スクールを卒業。3年後に帰国する。
  • ニューヨーク州で100名以上のカイロプラクターが検挙され、これをきっかけに市民運動が盛り上がる。
  • パーマー・スクール内にインターナショナル・カイロプラクターズ協会(ICA)が設立。
  • Central Chiropractic College(セントラル・カイロ・カレッジ)が開校。1924年にCleveland Chiropractic College(クリーブランド・カイロ・カレッジ)と改称。
1923 大12
  • この頃、日本初のカイロプラクティック団体となる日本カイロプラクティック協会が設立される(会長:大澤昌壽、副会長:小平粂重)。
  • カイロプラクティック学校は3年制から4年制に変更する。
  • C.S.ガンステッドにより、ガンステッド・テクニックが開発される。
  • W.Wiliamsは、最初のZenith Hyloテーブルの特許を取る。2年後には電動型が紹介される。現在のカイロプラクティック業界にアジャストテーブルを供給する最も古い業者である。
  • カナダで初めてアルバータ州でカイロプラクティックが法制化される。
1924 大13
  • 大澤昌壽、小平粂重が東京有楽町の実業之日本社ビルで開業。
  • 大澤昌壽はマスコミ(『婦人世界』)にカイロプラクティックを初めて紹介する。
  • アメリカのカリフォルニア州でカイロプラクティックが法制化され、この頃までに全米約半数の州でカイロプラクティックが認可される。
  • ニューロ・カロメーター(熱感知装置)をB.J.パーマーが披露。
1925 大14
  • Sacro-Occipital Technique(SOT)がM.B.ディジャネットによって創始される。
  • カイロプラクティック学校で、18カ月以上の教育を実施していたのは少数。B.J.パーマーは18カ月で十分と主張し、40年近く教育革命が遅れた。
  • カナダ・オンタリオ州でカイロプラクティックが法制化される。
  • アメリカのカリフォルニア州でカイロプラクティックが法制化され、最初の試験に芹野伊勢吉が合格。
  • アメリカ48州のうち、32州でカイロプラクティックが公認される。
1926 大15
昭元
  • 東村英太郎はアーサーL.フォスターの『カイロプラクティック医術書』を翻訳出版。1974年まで8版を重ねる。
1927 昭2
  • 高橋迪雄講述、日本正體術協会編『正體術矯正法』(日本正體術協会)発行。
  • アメリカでは約50のカイロプラクティック学校が存在した。
1928 昭3
  • 美座時中は東京でカイロプラクティックを開業。
  • ナショナル・カイロ大学は4年制(年8カ月)のプログラムを実施。
1929 昭4
  • 松本茂は東京でカイロプラクティックを開業。
  • 大澤昌壽、小平粂重、松本茂ら7名で初のカイロプラクティック・デー(9月18日)を祝う。
  • この頃、金澤督、芹野伊勢吉、桜井真市、桜井静子、千葉忠八、田中酉造、櫻庭豊、横矢重孝、鈴木泰三、幡谷高山らがアメリカのカイロプラクティック学校で学び、帰国後に開業していた。
  • 築田多吉『家庭に於ける実際的看護の秘訣』(通称:赤本 南江堂書店)にカイロプラクティックが掲載される。
1930 昭5
  • 美座時中『保健療術』を発行。
  • 北海道治療師会設立。
  • 東京警視庁は、療術行為取締規則を制定し、カイロプラクティックは警視庁令による届出制となる。神奈川、鹿児島、滋賀県でも地方庁令で取締規則を定める。
  • Hole In One(HIO)がB.J.パーマーによって開発される。Palmer Upper Cervicalともいわれる。
  • トーマス・エジソン(1847-1930)は、「未来の医師は薬を投与するのではなく、人間の骨格や適切な食事、病気の原因と予防法の観点から患者教育を行うであろう」と予測。
  • アメリカ各州で基礎科学法案が作られる。医学、カイロプラクティック、オステオパシーの学生が開業試験を受ける前に、共通の基礎科学試験の合格を義務づけることが目的。
1931 昭6
  • 美座時中『美座療法とカイロ―物語(脊椎矯正療法)』(実業之日本社)を発行。
  • アメリカでは、37州でカイロプラクティックが法制化される。
1932 昭7
  • 西勝造『理論応用 西式触手療法と保健治病法』(実業之日本社)を発行。
  • アメリカでは経済不況とともにカイロプラクティック学校は21校に減少。1,200名の学生が在籍していた。カイロプラクターは16,000名。
  • イギリス、ベルギー、スウェーデン、スイスでヨーロピアン・カイロプラクティック連合(ECU)を設立。
1933 昭8
  • 物療学院が大阪に開校(校長:田中金造)。のちの大阪物療大学。
  • カイロプラクティック州免許委員会が設立。Federation of Chiropractic Licensing Board(FCLB)の前身。
1934 昭9
  • NCAは、1930年代初期に芸術家M.McDonaldによって考案されたカイロプラクティックのエンブレムをカイロプラクティックの象徴として正式に取り入れる。
1935 昭10
  • NCAが教育基準確立のため、Committee on Educational Standards(CES)を設立。後にCouncil on Chiropractic Education(CCE)と改名。
1936 昭11
  • H.B.ローガン(1881-1944)がローガン・ベーシック・テクニックを開発。
1937 昭12
  • スイスで最初のカイロプラクティック法律がルツェルン州で認められる。最後は、1974年ベルン州で公認。今日、スイスは理想的なカイロプラクティック法のモデルとなっている。
  • 最初のニーチェスト・テーブルが売り出された。現代版はC.S.ガンステッドにより広められる。
1938 昭13
  • 厚生省が新設され「国民健康保険法」が公布される。
  • 医道の日本社創業。月刊誌『医道の日本』がタブロイド版で創刊。
  • 海外のカイロプラクティック大学卒業生ら22名がオーストラリア・カイロプラクター協会(ACA)を設立。1990年に他団体と合併し、統一団体を達成。
1939 昭14
  • オステオパスのウィリアム・サザーランドは、一次呼吸メカニズムと呼ばれる人体生理に関する新理論を発表、のちに頭蓋仙骨治療法と呼ばれるようになる。
  • スイス・チューリッヒで、北アメリカ以外で初のカイロプラクティックが法制化される。
1940 昭15
  • 北海道庁令で「療術行為取締規則」を公布。
  • 北海道治療師学校が開校。
  • 竹谷内米雄は東京でカイロプラクティック治療を始める。
  • CESの調査によるとアメリカに37校のカイロプラクティック学校があり、教育期間は1年半から3年の幅があることが判明。
  • オステオパシーの学校は、4年の専門課程と2年の予科過程を導入。
1941 昭16
  • 松本茂は北海道治療師会の招きで集中講義を始める。
  • 1912年に開校したMinnesota Chiropractic CollegeはNorthwestern College of Chiropracticに改称。
1942 昭17
1943 昭18
  • 野口晴哉主宰で整体操法制定委員会を設立。各界の代表者は、梶間良太郎(脊髄反射療法)、山田信一、小川平太郎(オステオパシー)、松本茂、伊藤緑光、山上恵也(カイロプラクティック)、佐々木光堂(スポンディロセラピー)、松野恵造(血液循環療法)、林芳樹(整体術)、宮廻清二(指圧末梢法)、柴田和通(手足根本療法)、野中豪策(アソカ療法)、山下利(紅療法)。
  • レオ・スピアーズは200床のベッドを有するSpears Chiropractic Hospitalをコロラド州に開院。1949年には600床に増築し病院としてカイロプラクティック中心の治療を始める。1984年に閉院。
1944 昭19
  • 奨学金や研究に関わるCRF(カイロプラクティック研究基金)、のちのFoundation for Chiropractic Education and Research(FCER)が設立。
1945 昭20
  • J.ジェンシーはナショナル・カイロ大学の学長に就任。
  • カナダ初の本格的なカイロプラクティック大学、Canadian Memorial Chiropractic College(CMCC)が設立。
1946 昭21
  • 江崎器械が京都市で創業。医療器械、器具の卸・小売業を行う。
  • アメリカでカイロプラクティック医療過誤に備え、National Chiropractic Mutual Insurance Company(NCMIC)が設立。
1947 昭22
  • 北海道治療師学院が北海道治療医学校と改称。
  • GHQ(連合国軍最高司令官総合司令部)の独占政策により、療術の禁止法が公布される。1930年以降、療術は各地方庁令による許認可制だった。
  • 全国療術共同組合が設立。のちに全国療術師協会(全療協)に改称。『全療新聞』創刊。
  • 野口晴哉『整體操法讀本』(整體操法協會)発行。
  • GHQの了解を得て、あん摩、はり、きゅう、柔道整復等営業法(略称:あはき法)が法律第217号として制定公布される。上記以外の医療類似行為は原則廃止、一定の要件者のみ期限つきで業務が認められる。その後、3回の期限延長となり、1964年には一代に限り終生の業務継続が認められる。
  • J.ジェンシー、R.ヒューザー、B.ウィルズの3名が『Chiropractic Principles and Technic』を発行。のちにDiversified Techniqueの教本と称される。
  • NCAは、Council on Chiropractic Education(CCE)を新たに発足させ、教育機関公認への努力を始める。
1948 昭23
  • 松本茂は日本カイロプラクティック協会の2代目会長に就任。
  • 医師法、歯科医師法の試験制度の採用。
  • 世界保健機関(WHO)が国連の専門機関として設立。
  • イギリスの医師A.B.ヒルによる最初の無作為化比較試験が発表される。
1949 昭24
  • 竹谷内米雄は東京都港区青山に治療所を移転。東京カイロプラクティック研究所と東京カイロプラクティック協会を設立。
1950 昭25
  • 日本カイロプラクティック協会が戦後初のカイロプラクティックデーを主催。
  • アメリカの43州でカイロプラクティックが法制化される。カイロプラクティックの大学教育は4年制に標準化された。多くの州で最低基準を定め、ほとんどの学校は非営利組織(NPO)にかわった。
1951 昭26
  • 亀井進が身体均整法を創始。
  • 松本茂『米国式カイロ療法入門』(日本カイロプラクティック学院)を発行。
  • 従来のあはき法が「あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法」に改正される。
  • 日本は75番目のWHO加盟国となる。
1952 昭27
  • W.H.ホプキンス(ペンシルベニア・カイロプラクティック協会長)の呼びかけでD.D.パーマーの偉業を称え、毎年9月18日をカイロプラクティック・デーとする。
1953 昭28
  • 竹谷内米雄主宰の東京カイロプラクティック協会はW.H.ホプキンスの呼びかけに呼応してカイロプラクティックデーを主催。
  • 山田新一は東京都新宿区戸塚に東京カイロプラクティック学院を開校。翌年、都知事より許可を受ける。のちの人間総合科学大学。
  • 全日本カイロプラクティック協会創立(会長:山田新一)。翌年、保坂岳史が会長に就任。
  • あはき法改正により高校卒業者の修行年限がはき師2年半以上、あはき師3年以上、柔道整復師2年以上に変更される。
1954 昭29
1955 昭30
  • マッサージ、指圧を含むあん摩が免許制度となる。
  • 受田新吉代議士の質問に答えて、当時の厚生省・高田浩運医務次長は、「カイロプラクティックは指圧に含まれないと考えている」と言明する。
1956 昭31
  • 日本カイロプラクティック連盟設立(会長:大越勝衛)。
  • 労働省の調査により、カイロプラクティックが職業分析年鑑に登録される。
1957 昭32
1958 昭33
  • 竹谷内米雄は夕刊紙『内外タイムス』にカイロプラクティックを紹介。戦後初のマスコミ掲載。
  • 松本茂は文化放送のラジオ番組「おいそがし、おやかまし」に初出演。
  • J.C.トンプソンは頭部、胸部、腰部、骨盤部を個別に昇降できるドロップ式テーブル(トムソン・ベッド)を紹介。
1959 昭34
  • Alan Stoddord『Manual of Osteopathic Technique』を発行。
  • CCEがU.S.Office of Education(USOE)に公認を正式申請。
  • オーストラリア・Sydney College of Chiropractic(シドニー・カイロ・カレッジ)設立、1989年にMacquarie Universityと合併。
1960 昭35
  • 日本の最高裁は免許制度のない医業類似行為について「有害の恐れがなければ、禁止処罰の対象とならない」と判決する。なお、憲法22条は「何人も公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業の選択の自由を侵されない」とうたっている。
  • カイロプラクティックが初めてテレビで取り上げられる。
  • George Goodheart D.C.により、Applied Kinesiology Technique(AK)が創始される。
1961 昭36
  • 7団体で、全日本カイロプラクティック総連盟を設立(会長:伊藤緑光)。
  • あはき法第19条にあん摩マッサージ師は盲人優先の規定が追加される。
  • 国民皆保険制度が開始。
  • カイロプラクティック創始者の2代目B.J.パーマー死去(1882-1961)。
  • Palmer School of Chiropractic(パーマー・スクール)はPalmer College of Chiropractic(パーマー大学)に改称。
  • アメリカでカイロプラクティック大学の統廃合が進み、10校に減少。
1962 昭37
  • 美座時中死去(1885-1962)。
  • アメリカの各州で異なる開業試験を是正するため、民間団体のアメリカ・カイロプラクティック資格試験機構(National Board of Chiropractic Examiners:NBCE)を設立。
  • カリフォルニア州でD.O.をM.D.に組み入れ、学校も一般医科大となる。
1963 昭38
  • 厚生省は医業類似行為の現行法政正骨子を各都道府県へ内示。手技に関して疾病の治療を目的とするものは翌年以降禁止と通知する。
  • A.E.ホームウッド『The Neurodynamics of the Vertebral Subluxation』発行。
1964 昭39
  • 従来のあはき法に指圧が追加され、「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゅう師及び柔道整復師等に関する法律」となる。1970年には、柔道整復師が分離される。
  • ウェスタンオーストラリア州パース市でカイロプラクティックがオーストラリアで初めて公認される。
  • アメリカのNCAは、他団体を統合してアメリカン・カイロプラクティック協会(ACA)を設立。
1965 昭40
  • 全日本カイロプラクティック総連盟(JCA)は、ナショナル・カイロ大学のジェンシー学長を招いて日本で最初の国際セミナーを開催する(第1回日本カイロ・セミナー)。
  • 理学療法士法が施行される。
  • NBCEの第1回全国統一試験が行われる。
  • ナショナル・カイロ大学は、イリノイ州シカゴから郊外のランバードへキャンパスを移転。また、5年制(年8カ月)のプログラムをつくる。
  • ルイジアナ州の地方裁判で、「England事件」の裁判にナショナル・カイロ大学のジェンシー学長が証人として立つ。その際、相手の弁護士から公的承認を受けたカイロプラクティック学校が1つもないことを指摘される。その後、学長のJ.ジェンシーはカイロプラクティック教育の公認化に注力する。
  • イギリスでアングロ・ヨーロピアン・カイロプラクティック大学が開校。1981年に現在のボーンマスにキャンパスを移転。
1966 昭41
  • TBSテレビ「芥川也寸志・土曜パートナー」で竹谷内米雄の施術が20分間実況中継される。
  • 竹谷内米雄は月刊新聞『カイロプラクチック』を創刊。還暦を契機とし自費で発行され1974年の93号まで継続される。
  • ナショナル・カイロ大学は、D.C.に加えBachelor of Science(B.S.)の称号を付与することをイリノイ州に認可される。
1967 昭42
  • 全療新聞創刊20周年行事でカイロプラクティックの技法競技会を行う。
  • 大阪府東大阪市に瓢箪山健康道場(学長:岡田般舟、理事長:岡田晃舟)が開設される。のちの国際カイロプラクティックカレッジ。
  • ナショナル・カイロ大学はディバーシファイド・テクニックについて初めての本格的教本(A.Z.ステーツ著)を発行。
  • W.C.LeeとA.W.Furhはミネソタ州でActivator Methodのテクニックを教え始める。当初は母指スラスト、のちに矯正器具を考察する。
1968 昭43
  • 全日本カイロプラクティック総連盟3代目会長に竹谷内米雄が就任。日本カイロプラクティック総連盟(JCA)に改称。カイロプラクティックの月例講習会を開催、加盟団体は15に増加。
  • 日本カイロプラクティック総連盟統一は第1回カイロプラクティックデーを芸能人を招いて開催。
  • ナショナル・カイロ大学は、入学条件に一般大学2年以上の教養課程を義務づける。カリキュラムは5年制(8カ月)プログラムを継続(最短コースは40カ月)。
  • アメリカ政府はHEWレポートでカイロプラクティック教育の不十分さを指摘。
1969 昭44
  • 戦後初の日本人D.C.、竹谷内一愿がナショナル・カイロ大学を卒業して帰国。
  • J.ジェンシー著、藤井尚治監修の本格的なカイロプラクティック教本『カイロプラクチックの理論・応用・実技』(科学新聞社出版局)発行。
1970 昭45
  • 日本カイロプラクティック総連盟会長に竹谷内一愿が就任。従来の団体加盟制を個人加盟制にする規約の大幅改正が採択される。
  • 宮崎県衛生部長の照会に対して厚生省医務局長は「御照会のカイロプラクティック療法は脊柱の調整を目的とする点において、あん摩、マッサージ、指圧と区別され、したがってこれらに含まれないと解する」と回答。
  • 従来のあはき法から柔道整復師が分離され単独法となる。
1971 昭46
  • 日本カイロプラクティック総連盟と科学新聞社は、第1回米国カイロプラクティック視察研修を行う。
  • 松本茂は厚生省の指導で役人や有識者を前にカイロプラクティックの実演会を行う。
  • カイロプラクティック教育審議会(Council on Chiropractic Education:CCE)は、ACAから独立し、外部の委員を加えた法人組織となる。
1972 昭47
  • 須藤清次はロサンゼルス・カイロ大学を卒業し戦後2人目のD.C.として帰国。
  • 塩川満章はパーマー大学を卒業。戦後3人目のD.C.として翌年帰国。
  • 須藤清次が須藤カイロプラクティックスクールを開校。
  • テキサス州ヒューストンでカイロプラクティック専門会議が開かれ、サブラクセーションの分類基準を示す。
  • アメリカ議会は、メディケア(老人医療保険)にカイロプラクティックを含む法案を可決。
1973 昭48
  • 日本カイロプラクティック総連盟は厚生省の要請により「米国カイロプラクティック調査報告書」を提出。
  • 塩川満章はオリエンタル・カイロプラクティック協会を設立。翌年、ワールド・カイロプラクティック学会に改称。
  • 村上一男はニューカイロプラクティックスクールを開校。のちに村上整体専門医学院東京カイロプラクティックカレッジと改称。同校卒業生は全国カイロプラクティック師会(AJCA)を設立。
  • ケベック州でカイロプラクティックが公認され、カナダのほとんどの州で認められる。1991年のニューファンドランド州の認可により全州で公認される。
1974 昭49
  • 日本カイロプラクティック総連盟は第13回定時総会でカイロプラクティック法制化決議文を採択。この頃から「総連盟」ではなく「JCA」と呼称されるようになる。
  • 愛知県衛生部が、「カイロプラクティックは法第12条により禁止されており、厳重に取り締まりを行う」と警告。
  • カイロプラクティックを含む療術の法制化を検討していた中央審議会は、厚生大臣に、①本審議会では結論をえられず、②医師等の専門家による療術による療術の研究班を作る、③そのうえで本審議会に諮問との答申。
  • 加瀬建造はナショナル・カイロ大学を卒業。
  • アメリカのジョージア州にLife Chiropractic Collegeが開校。のちのLife University。
  • アメリカ議会が200万ドルのカイロプラクティックの基礎研究費を出す。
  • アメリカ教育省(USOE)は、CCEをカイロプラクティック大学の認定機関として公認。CCEは、1975年に4つの大学(ロス・カイロ大学、ナショナル・カイロ大学、ノースウェスタン・カイロ大学、テキサス・カイロ大学)にアクレディテーション(認定)を与え、3校に準認定を与える。入学条件に大学2年以上の教養課程が原則となる。
  • コロラド大学のスー教授は、政府とカイロプラクティック業界の助成でコンピューターとレントゲンを使ったカイロプラクティックの研究を継続。
  • 最後の未公認州ルイジア州でカイロプラクティック法案可決。首都ワシントンDCを含め全米50州でカイロプラクティックが公認される。
1975 昭50
  • JCA第3代目会長の竹谷内米雄死去(1907-1975)。
  • 法制化問題が白紙に戻ったのを契機として法制化に期待を抱いていた人々が退会し、JCAは教育重視に向かう。
  • アメリカの国立衛生研究所(NIH)が主催するThe Research Status of Spinal Manipulative Therapyの会議が開かれる。日本から体性自律神経反射の権威である佐藤昭夫が招かれ講演。
  • オーストラリアのメルボルン郊外にInternational College of Chiropracticが開校。学長にA.M.クレイハンスが就任。その後、PITからRMITに移行。
1976 昭51
  • ワールド・カイロプラクティック学会は日本パーマー・カイロプラクティック協会に改称。
  • 須藤清次は、日本カイロプラクティック・パイオニア学会(JCMR)を設立(のちに東洋カイロプラクティック協会に改称)。
  • 塩川満章は東京江戸川橋にシオカワスクール オブ カイロプラクティックを開校。
  • 加瀬建造は自然カイロプラクティックサイエンス協会(ANCS)を設立。
  • The Australian Council Chiropractic Education(ACCE)が創立。ACCEは1983年、PITを公認する。
1977 昭52
  • スポーツ日本新聞社の『スポニチ』がカイロプラクティックを取り上げる。
  • 日本人D.C.によるD.C.会が発足したが、継続せず。
  • JCAが先導しカイロプラクティックの10団体を集め、日本カイロプラクティック団体連合会を結成したが、継続せず。
  • 元北海道治療医学学校講師、吉橋績死去(1913-1977)。
1978 昭53
  • 日本カイロプラクティック団体連合会は役員会を開く。その後、自然消滅。
  • 日本パーマー・カイロプラクティック協会は、パシフィック・アジア・カイロプラクティック協会(PAAC)に改称。兼古将が2代目会長に就任。
  • DC会は日本カイロプラクティック・ドクターズ協会(Japan Chiropractic Doctors Association:JCDA)と改称。
  • セミナー開催の方法論で紛糾し自然消滅。

  • カイロプラクティック創始者の3代目、David D.Palmer死去(1906-1978)。
1979 昭54
  • 中京カイロプラクティック学院開校(学院長:冨金原伸吾、名誉学院長:伊藤不二夫、理事長:村井正典)。同校卒業生は1981年に中京カイロプラクターズ・クラブを設立。
  • 須藤カイロプラクティックスクールは、日本カイロプラクティックカレッジに改称し、中央区銀座に移転。1985年には新宿区に新校舎を建設。
  • アメリカCCE書記長のL.フェイが来日。
  • CCEと同機能のSherman, Pennsylvania, Southern California系の機関、Straight Chiropractic Academic Standards Associationが設立される。1988年、USOEにより認可されたが1992年に取り消し。
  • WHOはアルマ・アータ宣言としてプライマリー・ヘルスケアについての考え方を承認。
  • ニュージーランド政府調査委員会は「ニュージーランド・レポート」を発行。国による公平で大規模なカイロプラクティック調査として世界に大きな影響を与える。日本語訳は『マニピュレーション』創刊号(1986年)に掲載。
  • アメリカのインターナショナル・カイロプラクティック協会(ICA)主催の国際脊柱科学会議がロサンゼルス・アナハイムで開かれ、のちに教本『Modern Developments in Principles and Practice of Chiropractic』として発行される。
  • 加瀬建造はキネシオテーピング療法を考案。
1980 昭55
  • 日本カイロプラクティック学校協会(会長:山田新一)が発足、間もなく消滅。
  • 第1回日本カイロプラクティック学会(学会長:高木健太郎)が名古屋で開かれる。その後、消滅。
  • CCEは改組し、InstitutionalとAccreditationalの2つの部会になる。Institutionalは、15の大学から1名のメンバー、Accreditationalは部外者を中心とした委員で構成。大学の運営、教育内容、入学条件、財政、講師、設備、研究などを調べ公認する。
1981 昭56
  • 加瀬建造は自然カイロプラクティック学院を開校。
  • 甲木昶らは日本カイロプラクティック師会を結成(会長:小坂善太郎)。
  • JCAとPAACが協力して日本カイロプラクティック協会連合会(JFC)を結成(会長:藤井尚治)。カイロプラクティック治療事故を補償する日本で初の賠償(保険)制度の発足。1994年には、JCAとPAACは独自の制度に分離。
  • PAACがシオカワ・カイロプラクティック・スクールと分離。
  • 全療協理事長の松本茂は勲五等瑞宝章を受章。
  • ナショナル・カイロ大学は学術誌『Journal of Manipulative and Physiolsgical Therapeutics(JMPT)』を発行。
  • ナショナル・カイロ大学はアメリカ高等教育基準認定協会(COPA)傘下の大学認定協会より、カイロプラクティック大学として初めて認定(アクレディテーション)を受ける。
  • C.A.ウィルクらは、AMAに対し独占禁止法違反の裁判を起こし、連邦地裁で敗訴。
  • オーストラリアでカイロプラクティックが法制化される。
1982 昭57
  • 超党派による日本カイロプラクティック議員連盟発足(会長:小坂善太郎)。日本カイロプラクティック師会の社団法人申請を厚生省に提出。
  • PAACはユニバーサル・カイロプラクティック・カレッジ(UCC)を池袋に開校。
  • JCAは『日本医事新報』(12月4日発行)のカイロプラクティック批判に反論。
  • Association for the History of Chiropractic(AHC)設立。『Chiropractic History』第1号を発行。
  • Parker College of Chiropracticが開校。
  • Los Angels College of Chiropracticは、カンザス州ウィチタへキャンパスを移転。
1983 昭58
  • JCAは法制化要望書を厚生省に提出。
  • 岡田晃舟は日本電療医学院を開校。
  • 大橋栄作、創術カイロプラクティック学会を設立。翌年、創術カイロプラクティック協会に改称。
  • JCAは臨床カイロプラクティック学会第1回学術大会を開催。
  • 日本カイロプラクティック師会政治連盟結成(会長:安原朋秀、幹事長:村井正典)。設立許可申請書提出後、1989年まで進展がなく会員の退会者続出。
  • C.A.ウィルクらは、AMAに対する独占禁止法違反の判決を不服として上告。1976年以来、カイロを差別する医師、病院を独占禁止法違反として訴えていた。
  • 骨盤の生体力学研究者、スイス人のFred W.H.Illi死去(1901-1983)
  • フランスにl’institut français de chiropractie(IFC)開校。
  • 9月にACAとICAの主催で初めてNational Legislative Conferenceを開催。
1984 昭59
  • 厚生省の横尾医事課長はカイロプラクティックについて、①最高裁判決に対応した方針を検討、②研究班の活動を新たな構想で進めたいと発言。
  • 全療協付属療術研修所第1期開講式。会長に斉藤邦吉(元厚生大臣)が就任。
  • 臨床カイロプラクティック学会『臨床カイロプラクティック学会誌』創刊号発行。
  • L.E.Arnoldがナショナル・カイロ大学学校長に就任。
  • CCEでカイロプラクティックの定義が採択される。
1985 昭60
  • JCA、全療協、日本カイロ協会、PAACの4団体で日本カイロプラクティック協議会を結成し、厚生省対策を検討。
  • NTTはカイロプラクティックを職業別電話番号の独立分類とする。
  • ニューヨーク・カイロ大学のE.G.ナポリタノ学長死去(1911-1985)。
  • ナショナル・カイロ大学、J.ジェンシー学長死去(1909-1985)。
  • アメリカ腰痛学会(ABS)のセミナー(サンフランシスコ)でM.D.とD.C.が演者となる。
  • アメリカ西海岸の6つの大学が集まり太平洋カイロプラクティック研究協会を結成(1990年にはCCRに改称)。
  • オーストラリア全土でカイロプラクティックが公認される。
1986 昭61
  • 日本整形外科学会会長の泉田重雄は厚生省が依頼したカイロプラクティックの安全性と有用性について、50症例以上の損傷が発生し、医師以外の者が行うのは危険、カイロ理論は医学理論と合致せずその効果は疑わしいと答申。
  • 塩川満章はPAACを退会し、日本カイロプラクティックリサーチ協会(JCRA)を設立。
  • 株式会社エンタプライズは季刊誌『マニピュレーション』を創刊。ニュージーランド・レポートを翻訳掲載。
  • R.A.Leach著『The Chiropractic Theories: A Synopsis of Scientific Research』発行。
  • チャップマンスミスは隔月刊ニュースレター『The Chiropractic Report』を創刊。
  • G.アウエルバッハとチャプマンスミス弁護士は、世界保健機関(WHO)の非政府組織(NGO)会議に初出席。
  • オーストラリアCCEはアメリカCCEと相互協定に調印。
1987 昭62
  • 日本整形外科学会は昨年の答申を補足するため、カイロプラクティックの被害例を厚生省に提出。
  • 日本臨床整形外科医会の機関紙で開業医の立場から柔道整復とカイロに言及。
  • 全鍼師会、日盲連などの5団体は現行法を改正し、手技療法師またはあん摩マッサージ指圧整体師としてカイロプラクティックを吸収する動き。
  • 東京都文京区に日本上部頚椎専門スクールが開校(校長:賀来史同)。2年後に卒業生で日本上部頚椎カイロプラクティック協会(JSCA)設立。
  • 日本電療医学院は、国際カイロプラクティック専門学院に改称。
  • イギリスでカイロプラクティック界初のプレジデント・サミット開催。各国代表は世界カイロプラクティック連合(WFC)結成に合意。日本からJCA竹谷内会長が参加。
  • 国際スポーツカイロプラクティック連合(FICS)創設。
  • Chicago Tribune紙は、イリノイ州の2つの病院がカイロプラクターをスタッフに迎えると報道。
  • パーマー大学学長にDonald Kernが就任。
  • ウィルク裁判(独占禁止法違反控訴)で連邦地裁のゲゼンダナ判事は、アメリカ医師会(AMA)、同放射線医師会に対し、カイロプラクティック業の計画的な撲滅を図った事実を認め、有罪判決を下す。カイロプラクティック側は勝訴。
  • FCERの助成によるロサンゼルス・カイロ大学とバーモント大学が「腰痛に対する共同研究」を始める。
1988 昭63
  • 日本カイロプラクティック協議会は、小冊子『カイロプラクティックの必要性・独自性・有効性について』を作成し厚生省や議員に配布。
  • 厚生省許可の財団法人全国療術研究財団が発足。
  • あん摩マッサージの団体は日本手技療法学会を設立し、カイロプラクティックの吸収を画策。
  • 社団法人生命科学振興会主催の国際カイロ・シンポジウムを京都国際会館で開く。
  • 『サンケイ新聞』健康欄にカイロプラクティックが取り上げられる。
  • 日米カイロプラクティック学園設立(理事長:赤松亀)。
  • レーガン大統領がパーマー・カイロ大学で講演。
  • ACAはカイロPRのため80万ドルをかけて『リーダース・ダイジェスト』誌上でキャンペーンを行う。
  • FCER『Spinal Manipulation』発行。
  • カルガリーの冬季オリンピックでカイロプラクティックがヘルスケア・チームに参加し活躍。
  • 世界カイロプラクティック連合(WFC)が36カ国の代表を集め、シドニーで結成。オーストラリア・カイロプラクティック協会創立50周年。
  • アングロ・ヨーロピアン・カイロ大学は、Bachelor of Science(学士号)授与の許可を受ける。
1989 昭64
平元
  • カイロ学校案内の新聞広告が目立つようになる。
  • D.C.懇親会に35名集まる。
  • 財団法人全国療術研究財団は、日本療術学会(杉靖三郎会頭)を創設。
  • 大阪地裁がカイロプラクティック事故訴訟で3,600万円の賠償命令の有罪判決。全国紙やテレビで全国報道される。
  • 科学新聞社は業界紙『カイロプラクティック・ジャーナル』を創刊。のちに『カイロジャーナル』に改称。
  • 厚生省中央審議会は「あはき、柔整」の修業年限延長に伴う養成施設の認定を審議。
  • DC連絡協議会(Doctor of Chiropractic Liaison Commitee:DCLC)が設立総会を開催。鈴木喜博を会長に選出。
  • 財団法人全国療術研究財団は、日本療術学会第1回学術総会を開催。
  • 日本カイロプラクティック協議会4団体の代表9名は厚生省を訪問、医事課担当者と懇談。
  • 日本カイロプラクティック師会の2代目会長に甲木昶が就任。
  • 日本カイロプラクティック師会(会長:甲木昶)は、小泉純一郎厚生大臣を被告として、東京地方裁判所に不作為の違法確認訴訟を起こす。その後、厚生省との交渉により財団法人設立を条件に提訴を取り下げる。
  • WFCに36カ国が加盟申請。
  • CCEは教育基準の改正を発表。
  • ACAとICAの合併への努力は、ICAの合意不足により白紙に戻る。
  • スウェーデンでカイロプラクティックが法制化される。
  • ACA主催でカイロプラクティックの長期計画策定のシンクタンクが開設。
  • WFCの第1回執行委員会でアウエルバッハ会長、チャップマンスミス事務局長他役員が決まる。
  • モーション・パルペーションの創始者、H.ジレーD.C.死去(1907-1989)。
  • アメリカのカイロプラクターの数は45,000名(1976年の統計で21,200名)。過去10年で倍増。大学の在学生数は8,300名。
  • 南アフリカで初めて国の助成を受けた5年制大学、テクニカン・ネタール(Technikon Natal)が開校。
  • William & Wilkinsは、初のテクニック専門誌『Chiropractic Technique』を創刊。現在はナショナル・カイロ大学が継続発行。
  • FCERは第1回スパイナル・マニピュレーション国際会議をワシントンDCで開催。
  • 1959年設立のシドニー・カイロプラクティック大学(オーストラリア)はマクワイアー大学と合併、カイロプラクティックで修士を授与。
1990 平2
  • 厚生省は、短期養成カイロプラクティック学校やカイロプラクティック治療によって増加する傷害例に注目。
  • 厚生省委託研究班「脊椎原性疾患の施術に関する医学的研究」の第1回ヒアリング(カイロプラクティック理論)が東京医科大学教授三浦三浦幸雄ら8名により行われる。「カイロプラクティックの概要」を全療協を通じて、厚生省へ送付。
  • あん摩マッサージ指圧師、鍼灸、柔道整復師等医業類似行為業養成施設の教育年限が3年になる。都道府県知事から厚生大臣免許へ移行。
  • 1981年にJCAとPAACが設立した日本カイロプラクティック協会連合会(Japan Federation of Chiropractic:JFC)の会長に竹谷内一愿が就任し新事業計画を発表。翌年のCCJ結成により消滅。
  • 厚生省委託研究班「脊椎原性疾患の施術に関する医学的研究」の第2回ヒアリング(カイロプラクティック実技)が行われる。
  • 厚生省はカイロプラクティック諸団体を招き、統合と自主規制を求める。
  • DC連絡協議会はWFC加盟のため日本WFC委員会を提案。日本カイロプラクティック団体連合(Japan Union of Chiropractic Association:JUCA)を設立。翌年のCCJ結成により消滅。
  • テレビ朝日「ニュース・ステーション」がカイロプラクティック学校の問題点を報道。
  • ACAのテクニック部会が主催するカイロプラクティックの有効性コンセンサス会議が開かれ、評価方法を検討。
  • ウィルク独占禁止法違反訴訟でアメリカ最高裁はAMA(アメリカ医師会)の上告を棄却。カイロプラクティック側の全面勝訴が確定。AMAからの賠償金は示談での交渉に。
  • ナショナル・カイロ大学はMRIを導入。
  • Palmer College campus centerが完成。
  • A.E.ホームウッド死去(1917-1990)。
  • WFCは第2回執行委員会をジュネーブで開催。役員はWHOの会議にも参加。
  • 『British Medical Journal』に「構造的原因による腰痛―カイロプラクティックと病院外来医療の無作為比較調査」が公表され(T.W.Meade他)、カイロプラクティックの有効性がイギリスの主要新聞『The Times』『Daily Telegraph』『Daily Express』等で報道される。
  • イギリスアングロ・ヨーロピアン・カイロ大学の開校25周年記念にイギリス王室のダイアナ妃が訪問。
  • オーストラリアの2つの団体(AustralianとUnited)が合併され、統一団体の名称はChiropractor’s Association Australia(CAA)となる。
  • オースロラリアの2つのカイロプラクティック大学は、一般大学制度に組み入れられ(医学、歯科学同様)、政府補助を受ける。
  • アメリカのカイロプラクティック業界に大きな変化。当時開業していたカイロプラクターの50%は10年以内の卒業生で女性カイロプラクターの割合は5%に増加。スポーツ・カイロ等への専門家指向が強まる。カイロプラクターが病院のスタッフに加わり始める。
  • アイスランドでカイロプラクティックが法制化される。
1991 平3
  • 鍼灸マッサージ団体は、カイロプラクティックの取り締まり強化を国会に陳情。
  • 厚生省委託研究班「脊椎原性疾患の施術に関する医学的研究の報告書」(通称:三浦レポート)を厚生省に提出。
  • 日本カイロプラクティック学校協会が発足(会長:加瀬建造)。参加校は、冨金原カイロプラクティック学園、国際カイロプラクティック専門学院、自然カイロプラクティック学院、日米カイロプラクティック学園、東京カイロプラクティック・カレッジ、東京カイロプラクティック・ナチュラル学院の6校。
  • 『週刊現代』に「大ブーム・カイロプラクティックに怖い落とし穴」が掲載される。文化放送ではカイロプラクティックの賛否を問う番組が2時間放送される。
  • カナダのトロントで開かれたWFC総会・学術シンポジウムにJFCとJUCAのDC10名が出席。両団体は日本カイロプラクティック評議会(Chiropractic Council of Japan:CCJ)発足で合意。竹谷内一愿、遠藤光政によるコ・チェアマン制度を採用。
  • 『問題小説』6月号で「カイロ療法に要注意」が掲載される。『日本経済新聞』は「カイロの学校経営に不安」と報道。
  • WFC加盟後、CCJの月例役員会が始まる。
  • 厚生省はカイロプラクティック諸団体に対し、研究報告はカイロプラクティックの全面否定ではない。カイロプラクティックは法的、科学的立場、利害を異にする団体との調整の3つの観点から見ると発言。
  • 厚生省は健康政策局医事課長名で各都道府県衛生担当部長宛「医業類似行為に対する取り扱いについて」を通知。その中で、①禁忌対象疾患の認識、②一部の危険な手法の禁止、③適切な医療受療の遅延防止、④誇大広告の規制、の4点を指摘。
  • 全国紙は厚生省通知を「カイロ療法規制」の見出しで全国に報道。
  • 全療協はカイロプラクティックをめぐる動きに対処するため、カイロプラクティック療法対策委員会の発足を決め、小野敏夫を委員長とし、講習会の指導要領を松本徳太郎に委嘱。
  • 「日本カイロプラクティック連絡協議会(カイロ連)設立準備委員会」が発足。事故防止、誇大広告の自制、自主規制を目指す。
  • カイロ連設立準備委員会は、厚生省に「自主規制案」を提出。
  • あん摩団体は6月の厚生省通知に対し、「もっと厳しい内容にすべき」と厚生省に圧力をかける。
  • 社会党の堀利和参議院議員は、あん摩団体の要請で政府にカイロの取り扱いに関する質問状を提出。
  • 一部の日本人D.C.らが医師法違反で逮捕される(有罪判決)。
  • 桑岡俊文は桑岡カイロプラクティック研究会(Kuwaoka Chiropractic Society)を設立。のちのKCS。
  • 医療機器総合卸販売業の株式会社ウイン創業。
    • アメリカのカイロプラクティック教育審議会(CCE)は、日本のカイロ教育責任者をダラス会議に招き(日本から5校参加)、CCE基準に準じた日本のCCE結成を要請。
    • アメリカでは70、80年代の間、HMO、PPO、PPAなど従来の民間保険会社の支払い方法と異なる前払い方式の請負医療(マネジドケア)が急成長。ACAは長期展望に立つ対策委員会を設置。
    • パーマー・カイロ大学は、パーマー・ウェスト大学とともにパーマー・カイロ・ユニバーシティを目指すと発表。
    • WFCの総会で日本のD.C.一本化となる。日本カイロプラクティック評議会(CCJ)の結成で日本側が合意し、正式にWFCに加盟。
    • アメリカの有力雑誌『TIME』がカイロプラクティックに好意的な記事を掲載。
    • カナダのトロントで開かれたWFC総会に世界37カ国68名が集まる。学術シンポジウムはアメリカ腰痛学会(ABS)と共通で1,400名が参加。
    • アメリカの人気ニュースTV番組「CBSナイト・ウォッチ」で20分にわたりカイロプラクティックの有効性を取り上げる。番組の出演者はカイロプラクティック側ではルイ・スポテリ、スコット・ハルデマン、医師側はニール・カハノビッツ。
    • アメリカのRAND研究所は「腰痛に対する脊椎マニピュレーションの妥当性」の研究レポートを公表。カイロの有効性がニューヨークタイムス、CBCテレビ等で報道された。
    • アメリカの『Journal of Occupational Medicine』に「カイロプラクティックと医療のコスト比較」と題する論文が発表され、カイロプラクティックの経済効果の優位性が報告された。
    • カイロ業界最大の発行部数(65,000部)をもつ『Dynamic Chiropractic』にCCJが投稿、日本の事情が世界に報道される。
    • 北アメリカ脊椎学会は腰仙椎の診断・治療における手技療法・カイロプラクティックを医学雑誌『Spine』誌上で正式に認める。
    • アメリカのギャラップ社が行った世論調査によるとカイロプラクティックを受療した患者の10名中8名は治療に満足を示し、有効と回答。
    • イギリス王室のダイアナ妃はアングロ・ヨーロピアン・カイロ大学の支援者に就任。
    • ギリシアのキプロスでカイロプラクティックが法制化される。
    • クリーブランド・カイロ大学はカンザス校とロサンゼルス校を合同したマルチ・キャンパス・システムを導入。学長と理事長が1つにまとまる。
    • カイロ研究への公的助成がオーストラリア、ヨーロッパ、北アメリカに広がる。オランダ政府とオランダ・カイロ協会は合同でLimberg大学において筋緊張性頭痛へのカイロプラクティック効果の研究を開始。スイスでは国の助成でカイロプラクターも参加した腰痛治療の研究が進む。
    • スポーツ・カイロプラクティック国際連合(FICS)は、1996年アトランタ・オリンピックで国際オリンピック委員会(IOC)に正式加盟を目標とすると発表。1984年のロサンゼルス・オリンピックでは9名、1988年のソウル・オリンピックでは18名、1992年のバルセロナ・オリンピックでは24名のカイロプラクターがチームドクターとして活躍。
    1992 平4
    • 厚生省は宮沢喜一総理の名で、社会党の堀利和参議院議員の質問状に回答。
    • 堀利和参議院議員は厚生委員会で、あはき業を代表して「カイロプラクティック療法の行為を国民の立場から取り締まるべき」と政府委員を詰問。
    • あん摩、鍼灸団体はカイロ取締を求めて衆参両院議員に陳情書を提出。
    • 『日本カイロプラクティック学会雑誌』に「三浦レポート」への反論3編が掲載。
    • 竹谷内宏明はJCA第6代会長に就任。新会長は厚生省を表敬訪問。
    • 視覚障害者を中心とした社団法人全日本鍼灸マッサージ師会は「カイロ110番」を設け、具体的なカイロプラクティックの危険性を厚生省に訴えると発表。またカイロプラクティックの危険性と同時にカイロプラクティックを手技療法の1つとして考えると主張。
    • CCJはWFCのチャップマンスミス弁護士の協力を得て、「カイロプラクティック白書と三浦レポートへの見解」をファイルにまとめる。
    • マニュアルメディスン研究会(大場弘会長)が『Manual Medicine』を創刊。
    • CCJの竹谷内、遠藤コ・チェアマンは香港で開かれたWFC執行委員会に出席。
    • WFCのデイエム会長とチャップマンスミス事務総長が訪日。CCJはカイロ諸団体を招いて歓迎レセプションを開く。
    • CCJの竹谷内、遠藤コ・チェアマンは、WFC首脳とともに厚生省を訪問。園田政務次官に「三浦レポート」の反論書を手渡す。アメリカの『Dynamic Chiropractic』はこの件を世界に報道。
    • 日本のカイロプラクティック業界を長きに渡って支えた、松本茂が死去(1897-1992)。
    • 『サンケイ新聞』健康欄に「腰痛などに効果」とカイロプラクティックが紹介される。
    • 財団法人全国療術研究財団の「カイロプラクティックに関する委託研究」の一環として依頼した、東海大学スポーツ医科学研究所の中野昭一はMRIを使って臨床研究を始める。
    • 『週刊文春』は10―12月にかけて13回の腰痛シリーズを連載。「恐怖のカイロプラクティック」「カイロは社会的私生児」などの記事が注目される。
    • 日本カイロプラクティック連絡協議会(CFJ)が主要な12団体によって結成される。
    • 塩川満章はバルセロナオリンピックでオマーンの公式カイロプラクターを務める。
    • ウィルク独占禁止法違反訴訟でアメリカ医師会(AMA)との間で賠償金額の示談が成立し、次の合意で15年に及ぶカイロ側とAMAの裁判が決着。①賠償金額は公表しない、②AMAの倫理規定を改定する、③American Medical Newsに1987年のゲゼンダナ判決を全文掲載すること。
    • AMAはウィルク裁判での全面敗訴を受け、AMA倫理規定を次のように改正。患者の利益と認めたら、医師は患者をカイロプラクターに紹介したり、診療協力をしたり、カイロ大学で教えたりしても医師の倫理規定に反しない。
    • アメリカカイロ業務のコンセンサスを決めるマーシーセンター会議が35名のカイロ業界代表を集めて実施。
    • SOTの創始者M.ディジャネットが死去(1899-1992)。
    • WHOが1993年、ロンドンで開かれるWFC学術大会の後援とChiropractic in Occupational Healthの共著に同意。
    • FCERの研究部長にA.L.ロスナーが就任。
    • 『Chiropractic Journal of Australia』6月号に掲載された研究論文によると構造に起因する腰痛は医療よりカイロの方が休職日数が少ないと報告。
    • 香港でWFC代議員会議開催。役員改選でC.ディエムが新会長に就任。
    • アメリカ文部省(USDE)は、1988年に許可したストレート・カイロプラクティック教育基準協会(SCASA)の承認を取り消すと発表。アメリカ内に2つのカイロ大学認定協会が存在する矛盾が解消。これでCCE(カイロプラクティック教育審議会)が唯一国の承認するカイロ大学認定機関となった。
    • ナショナル・カイロ大学のP.C.ブレナンはカイロ学術誌『JMPT』にカイロプラクティックのマニピュレーションを受けた女性のプロスタグランジン値が低下し、本態性の生理痛に有効との試験的臨床実験成果を発表。
    • オーストラリアの1981年設立のフィリップ工科大学はロイヤル・メルボルン工科大学(RMIT大学)と合併、RMIT大学カイロプラクティック学部となる。A.クレイハンスはカイロ科の教授に就任。
    • アメリカ・サンディエゴで学際的な第1回(仙腸関節に重点をおく)腰痛国際学術会議が開かれる。
    • スコット・ハルデマン編著『Chiropractic Principle and Practice』発行。翌年、日本語版発行。
    • マーシーセンター会議の成果、「Chiropractic Quality Assurance and Practice Parameters」(カイロプラクティック業務のガイドライン)が完成。
    1993 平5
    • 北海道治療師会会長、石原通孝死去(1902-1993)。
    • 全療協会長に戸井田三郎(衆議院議員、元厚生大臣)が就任。
    • 衆議院厚生委員会で丹羽雄哉厚生大臣は、「無資格だがニーズのあるカイロに対し今後、検討を加える」と答弁。
    • 「カイロ療法」を揚げ、投薬や診断を行ったとして医師法違反で起訴されていた宮下雄一に札幌地裁から懲役1年、執行猶予4年の有罪判決。
    • 科学新聞社『カイロプラクティック・ジャーナル』は15号から『カイロジャーナル』に改称。
    • 全国カイロプラクティック師会の新渡英夫が東京都市議会議員に日本新党から出馬、当選。
    • CCJの竹谷内、遠藤コ・チェアマンは、1997年のWFC世界大会東京開催をWFC委員会に提案し承認される。
    • CFJ公益法人検討委員会(初代委員長:櫻田善治)がCFJ会長の諮問機関として発足し財団法人設立に向けて具体的な活動を開始。
    • S.ハルデマン著、本間三郎・竹谷内宏明監訳『カイロプラクティック総覧』(エンタプライズ)発行。
    • 日本カイロプラクティックアカデミー学園(NCA)開校(理事長:村松仲朗、学長:角野善則)。のちに卒業生がカイロプラクティック師協会(JSC)を結成。
    • B.クリントンがアメリカの新大統領に就任。新大統領は、すべてのアメリカ人は権利として質の高い医療を受けられるべきで国民は会社の保険に加入するか、入れない者は政府の公的ヘルスケアに入る制度を確立することを主張。
    • ウィルク訴訟で勝訴したC.A.ウィルクは、AWAから支払われた賠償金をCCRを通じ「腰痛を防ぐカイロの有効性研究」に使うと発表。
    • アメリカの医学専門誌『New England Journal of Medicine』は、「アメリカ人の34%がカイロプラクティックを含む非医療を利用し、年間140億ドル支払っている」との調査を発表。
    • 香港でカイロプラクティックが法制化される。
    • R.スエンソン編集『Journal of the Neuromusculoskeletal System(JNMS)』がACAより季刊発行。
    • ロンドンで開かれたWFC総会に世界50カ国100名が集まる。学術シンポジウムはWHOと共催で400名が参加。WFC役員会でWHOにNGOとして加盟申請を決めた。
    • カナダ・オンタリオ州政府がオタワ大学のP.Manga教授(健康経済学者)に依頼した報告「腰痛に対するカイロプラクティック治療の有効性と費用効果」(The Manga Report)が公表され、その中でカイロの明らかな有意性が認められた。この内容全訳は1994年8月号から『マニピュレーション』で紹介された。
    • カナダのケベック州立総合大学、ケベック大学に初のカイロプラクティック学部が開設され、1993年9月に初の新入生を迎えた。
    • T.F.バーグマンらは『Chiropractic Technique』を発行。
    1994 平6
    • 全療財団の依頼で1992年10月から実施されていた東海大学スポーツ医科学研究所の中野昭一所長による報告書「腰痛に対するカイロプラクティック手技に関する一考察」が発表される。
    • CCJは個人会員制に改組される。遠藤光政が議長に就任。
    • 社団法人全日本鍼灸マッサージ師会(全鍼師会)は、「カイロ・整体等は“あマ指”と異名同質であることを確認し、カイロプラクティック等の立法化に絶対反対し、これらをあマ指に吸収する。このため、委託研究機関にその同一性の科学的立証を依頼する」と発表。
    • JCA会長竹谷内宏明はオーストラリアのRMIT大学との提携による「RMIT大学日本校」計画を発表。
    • 全鍼師会は、カイロプラクティック等非合法無資格類似行為の取り締まりを求めて、国会で堀議員にカイロがあん摩マッサージ指圧と異名同質であり、法律違反であることを質問してもらうこと。弁護士と法廷闘争の可能性を協議することを決める。
    • JCAは、JCAジャーナル・カイロ百周年記念集号『カイロプラクティック・日本での歩み』を発行。
    • 中京カイロプラクターズクラブ(会長:酒井慎二)は、日本カイロプラクティック師協会と提携し「日本カイロプラクターズクラブ」に改称。CFJ理事会の承認を得る。のちに「日本カイロプラクティックアカデミー」(会長:村松仲朗)に変更。
    • ニュージーランドのオークランド大学に併設されたカイロプラクティック学部が開校。
    • アメリカカイロプラクティック保険会社は、カイロの研究促進のためFCERに100万ドルを寄付。
    • 1988年のWFC創設以来、加盟国は年々増加し563カ国が正式加盟。さらに9カ国が加入申請中。
    • メキシコ・カンクーンで開かれたWFC主催「韓国フォーラム」で韓国の深刻な状況が討議される。今後は韓国カイロプラクティック協会(会長:Young Serb Song)の承認なしに同国でカイロプラクティックを教えないことに合意。
    • フィンランドでカイロプラクティックが法制化される。
    • イギリスでカイロプラクティックが法制化される。
    • クリントン大統領が国民皆保険の実現を目指し、推進していた健康保険改革法案の年度内成立を断念。
    • アメリカで総合大学(ブリッジポート大学)における初のカイロプラクティック学部が開設される。
    • アメリカ連邦政府による初のカイロ研究助成金がウェスタンステーツ・カイロ大学のジョアン・ニエンドに与えられる。研究対象は急性腰痛に関する患者の特徴。助成金は3年間で80万ドル。
    • 北欧の総合大学で初となるカイロプラクティック・コースがデンマークのオデンス大学に開設される。
    • アメリカ連邦政府健康政策局(AHCPR)は、急性腰痛症の治療ガイドライン「Acute Lower Back Problems in Adults」を発表。脊椎マニピュレーション(カイロプラクティック)の有効性について科学的根拠を示す。『Chicago Sun Times』は「Study of Pain Relief Backs Chiropractors」と題した記事を掲載するなど、マスコミで広く報じられる。
    • アメリカ連邦政府厚生省は、腰痛に対するカイロプラクティックの有効性を調べるため、3年間に90万ドルの研究費をロサンゼルス・カイロ大学とカルフォルニア大学に支給。国家のカイロ研究助成金として過去最高額。
    • イギリスでも臨床スタンダード諮問委員会(CSAG)が腰痛ガイドラインを発表。内容はAHCPRに類似。
    • アメリカ連邦政府厚生省はFlexion-distruction療法の有効性を調べるためナショナル・カイロ大学に31万ドルの研修助成を行った。94年度に入って、連邦政府のカイロ大学研究助成はウェスタンステーツ、ロサンゼルス、ナショナルの3大学に。
    • アメリカは軍医療にカイロプラクティックを含めるか否かを検討するため、軍医療施設10カ所にカイロプラクティックのデモンストレーション施設を設け、3年計画(1995~1997)で調査を進めることになる。
    1995 平7
    • T.F.バーグマン他著、竹谷内宏明、仲野弥和監訳『カイロプラクティック・テクニック総覧 原則と方法』(エンタプライズ)発行。
    • RMIT大学とJCAはRMIT大学日本校開校に合意。オーストラリア大使館で大使陪席のもとRMIT大学学長とJCA会長が調印。
    • RMIT大学日本校開校式と祝賀レセプションが日赤会館(東京)で行われる。WFCのJ.スウェニー副会長らが出席。
    • ワシントンDCでカイロプラクティック百周年祝賀を兼ねたWFC総会開催。CCJ代表として遠藤光政が出席。RMIT大学日本校学生、JCA役員らがオブザーバーとして参加。
    • WFC総会最終日のレセプションで竹谷内一愿がWFC栄誉賞を日本人で初受賞。
    • 第132回衆議院でカイロプラクティック取締まりの採択。
    • CCJは、AHCPR編、大島正光監訳『成人の急性腰痛治療ガイドライン』を発行。
    • 日経新聞と産経新聞にRMIT大学日本校の紹介記事が掲載される。
    • あはき業者2,000名が東京に集まり、カイロプラクティック整体等無資格者撲滅の気勢をあげて国会にデモ行進。衆参両議長に決議文を渡す。
    • CFJは厚生省の指導により「カイロ119番電話相談室」を開設。
    • カナダの自動車保険協会の依頼により、むち打ち症の障害に関するQuebec Task Force Reportが発表される。マニピュレーションを有効とした。
    • カイロプラクティック百周年財団(CCF)主催のカイロ誕生百周年祝賀会がワシントンDCで行われる。この期間中にWFC総会とWFC学術大会も開催。WFCの新会長にJ.スウェニーが就任。
    • CCF主催のカイロプラクティック誕生百周年祝賀会がダベンポートで行われる。
    • AHCPRは「慢性頭痛の診断と治療」の作成に着手。カイロ代表のパネル委員にはジョン・トリアノが参加。
    • C.S.クリーグランドJr死去。
    • アメリカ・中国カイロプラクティック協会主催の第1回アジア・カイロプラクティック・シンポジウムが香港で開催。
    • カナダの新聞『The Toronto Star』はカイロプラクティックの記事「A Pain in the Neck」を掲載。
    • トンプソンテクニック開発者J.C.Thompson死去(1909-1995)。
    1996 平8
    • 『朝日新聞』家庭欄の連載記事「現代養生訓」で、AHCPRの報告書に基づき「適切なカイロなら有効」と掲載。
    • M.I.ガッターマン著、竹谷内宏明監訳『カイロプラクティック・マネジメント』(エンタプライズ)発行。
    • あはき等法推進協議会カイロ対策実行委員会は、「手技療法としてカイロ等をあはき法に包含する」と議決。
    • 12団体で構成されたCFJから3団体(全療協、日本カイロ協会、創術カイロ協会)が退会。
    • CFJ第4回定時総会で「カイロプラクティック単独立法推進」を決議。
    • 全療協は財団を利用し、会員の統一に乗り出す。
    • 臨床医向け雑誌『日経メディカル』5月号は「かかりつけ医の腰痛診療」でカイロプラクティックを取り上げる。
    • 健康雑誌『大丈夫』がJCA指定治療院を紹介。
    • RMIT認定CSC学位取得コース開始。
    • 整形外科学専門誌『骨・関節・靱帯』(国際医書出版)にカイロプラクティック関連記事が掲載される。
    • 日本カイロプラクティックドクター専門学院(JCDC)と国際整体技術学園(元村上整体専門医学院副学長の新渡英夫理事長)開校。
    • 日本カイロプラクティック協会(会長:松本徳太郎)、全療協(理事長:宇都宮光明、創術カイロプラクティック協会はCFJを退会。
    • 日本カイロプラクティック協会、全療協、CFJによる「全療協・カイロ連 連絡協議会」発足。
    • CFJ公益法人検討委員長の櫻田善治死去を受けて、新委員長に村井正典が就任。
    • 岡山県カイロプラクティック業協同組合を設立(理事長:桑岡俊文)。カイロプラクティック業界初の行政認可を取得。
    • 東京都新宿区に国際整体技術学園/日本カイロプラクティックドクター専門学院(JCDC)カイロプラクティック学科(一般コース 東京本校)を創立(理事長:新渡英夫)。また、同時期にJCDC姉妹校として全国に9校が開校する。
    • X線撮影の権威ラッセル・エアハート死去。
    • フランスの3つのカイロ団体はフランスカイロ協会(AFC)に統一される。
    • アメリカのヘルスケア雑誌『American Journal of Managed Care』は、カイロ治療が頚部痛や頚痛治療に経済的有効性があると報じる。
    • WFCの執行委員会がキプロスで開かれる。
    • ヨーロッパ・カイロプラクティック連合(ECU)第40回年次学術会がスイスのジュネーブで開催。ヨーロッパ15カ国、カナダ、アメリカ、オーストラリアから150名が参加。
    • 『The Chiropractic Report』が日本に注目する記事を掲載。
    • アトランタ・オリンピック開催。IOCに25名のカイロプラクターが参加。
    • AHCPRが制作していた「慢性頭痛の診断と治療」の作成が政治的圧力により中止。
    • CCRはAmerican Spinal Research Foundation(ASRF)に改組。
    • AMA発行の医療手続き用語集(CPT)に初めてカイロプラクティック用語「Chiropractic Manipulative Treatment(CMT)」が掲載される。20年ほど前までAMAはカイロプラクティックは非科学的とされ、その撲滅を政策の旗印にしていた。
    • WFCがThe Council of International Organization of Medical Sciences(CIOMUS)に正式加盟。CIOMUSはジュネーブに本部を置く国際組織で、ユネスコとWHOの支援で1949年に設立され、医学・科学分野を中心に100以上の権威ある団体が加盟している。
    • アメリカのRAND研究所は「頚椎のマニピュレーションとモビリゼーションの適性」について発表。
    1997 平9
    • 日本のカイロプラクティック団体や学校の多くがインターネットにウェブサイトを設置。
    • 日本カイロカレッジの姉妹校、横浜カイロプラクティック学院開校。
    • MCC横浜メディカルカイロプラクティックカレッジ開校(学校長:松井洋一郎)。
    • CFJは「財団法人日本カイロ研究財団(仮称)」設立申請書を小泉純一郎厚生大臣に提出。
    • M.ガッターマン著、 竹谷内宏明監訳『カイロプラクティック・サブラクセーション』(エンタプライズ)発行。
    • CCJの総会で日本に54名のD.C.がいると報告される。
    • 竹谷内宏明編著『カイロプラクティック用語集』(科学新聞社)発行。日本で初めてのカイロプラクティック専門用語集。
    • CCJとCFJ協賛、WHO後援でWFC世界大会TOKYO(WFC総会と学術大会)が東京国際フォーラムで開かれる。カイロプラクティック教育の国際憲章が採択される。
    • アジア・カイロプラクティック連盟(ACF)創設。日本、韓国、タイ、シンガポール、フィリピン、香港が加盟。
    • CFJによる財団設立の事前審査作業に入る。
    • 全療協の会長に藤本孝雄衆議院議員、理事長に松本徳太郎が就任。
    • DCLC臨時総会にて「大島財団不支持」を決定。鈴木喜博会長はDCLCを退会。
    • WFC教育特別委員会がアリゾナ州フェニックスで開かれる。CCJから遠藤光政、中垣光一が参加。RMIT大学日本校(JCA)からB.バジェルが参加。
    • WFCがWHO(世界保健機関)のNGOに正式加盟。この時点でWFC加盟国は62か国。
    • WHOとWFCはカイロプラクティックと労働衛生についての共著を発行。
    • WFCはカイロプラクティック教育に関する(特に未承認国の)国際憲章を採択。
    • WFCの『Membership Report』9月号に日本カイロプラクティック研究財団(仮称)設立の近況報告が掲載される。
    • メキシコのSimon Bolivar Universityにカイロプラクティック・コースが開校予定。
    • パーマー・スクール(パーマー・大学)設立100周年を迎える。
    • フィリピンで代替医療法の中でカイロプラクティックが法制化される。
    • イギリスでグラモルガン大学とサーリー大学開校(サーリー大学は2004年閉校)。
    • RMIT大学の協力で、韓国初のカイロ教育プログラムがハンソ大学で開始(2003年閉校後、ブリッジポート大学との提携に移行)。
    • パーマー大学協力のもとブラジルのフィバーレ大学で南米初のカイロプラクティック大学教育が開始される。
    • スペインでカイロプラクターに医師法違反で6か月の懲役が下される。
    1998 平10
    • 国内の一部D.C.とRMIT大学日本校在校生で日本カイロプラクターズ協会(Japanese Association of Chiropractors:JAC)設立(会長:中塚祐文)。
    • CFJ総会にて日本カイロプラクティック研究財団(仮称)設立に関する全事項について6団体全会一致で財団設立を承認。同総会にて東洋カイロプラクティック協会(TCA)を除名。のちにTCAは総会決議無効の裁判を起こす。
    • 日本DC協会(JDCA)(会長:鈴木喜博)がCFJに加盟。
    • 大川泰は大川カイロプラクティック専門学院を開校。
    • WFCはCCJに資格停止処分を通告。
    • CCJは総会でカイロプラクティック財団構想の支持を決定。
    • WFC主催の「日本カイロ教育コンセンサス会議」を東京で開催、共同声明を決める。
    • WFCはCCJとJACを統合した「CAJ設立」を提案するが、翌年CCJはCAJ案を先送りする。
    • 日本代替・相補・伝統医療連合会(JACT)設立(理事長:渥美和彦)。
    • 日本医科学出販は隔月刊の業界紙『カイロタイムズ』を創刊。
    • 関西カイロプラクティック医学院開校(学長:若松武)。
    • 日本カイロプラクティックドクター協会設立(理事長:新渡英夫)。
    • カナダで頚椎治療後に死亡事故が発生し、マスコミに取り上げられる。
    • WFC主催カイロ教育国際会議がフィリピンのマニラで開催。
    1999 平11
    • WFCニュージーランド総会にてCCJ(会長:川西陽三)がWFCから除名処分される。CCJに代わりJACが加盟する。
    • JCAはCFJから退会。
    • CFJは『The Chiropractors News』創刊号(日本カイロプラクティック連絡協議会)を発行。
    • TCAの総会決議無効の訴訟は却下される。
    • 日本カイロプラクティック議員連盟(幹事長:島村宣伸)が再始動。
    • 科学新聞社後援で日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC)が発足(会長:須藤清次)。第1回学術講演会を開催。
    • 国際カイロプラクティック専門学院(KCC)卒業生が国際カイロプラクティック師連盟(KCA)設立(理事長:岡田晃舟)。
    • 日本カイロプラクティック徒手医学会(JSCC)は第1回学術講演会を開催(大会長:大場弘)。以降、学術大会として毎年開催。
    • ベルギーでカイロプラクティックが法制化される。
    • 韓国でカイロプラクターが医師法違反で逮捕される。
    2000 平12
    • 日本カイロプラクティック議員連盟会議開催。
    • 日本カイロプラクティック協同組合連合会(JFCP)設立(理事長:岸田和美)。
    • 大川カイロプラクティック専門学院卒業生で日本カイロ医学協会(JACM)設立。
    • JCDC卒業生によりカイロプラクティック療法振興事業協同組合設立(組合長:新渡英夫)。
    • 日本統合医療学会(JIM)(理事長:渥美和彦)設立。
    • KCSはフランチャイズ事業を開始。カイロプラクティック業界全国初の電子カルテシステムを導入。
    • C.C.Norkin、P.K.Levangie著、 若松武監訳、桑岡俊文監訳・編集『JOINT 関節の構造と機能 総合分析 第2版』(西日本法規出版)発行。
    • JCDCの講師・卒業生らを中心とするカイロプラクティック療法振興事業協同組合設立(理事:新渡英夫)。
    2001 平13
    • 厚生省は省庁統合(厚生労働省)の前日に厚生省内にて、CFJ公益法人検討委員長の村井正典に「日本カイロプラクティック研究財団(仮称)不許可」を口頭で通達。
    • 日本カイロプラクティック議員連盟総会開催。CFJの財団設立不許可を受けて、以後法人・法制化を目指しNPO法人日本カイロプラクティック機構(JCO)に対する協力・支援を議決。
    • CFJからNPO法人日本カイロプラクティック機構(JCO)設立(会長:大島正光)。
    • FICSへ各国の団体加盟制への変更とともに日本スポーツカイロプラクティック連盟(JFOCS)設立(会長:小池福夫)。
    • ACCE(現CCEA カイロプラクティック教育審議会オーストラレイジア)とJACでCSCプログラム基準の調整。
    • WFCパリ総会で、カイロプラクティック・パラダイムとタイトルの使用制限に関する政策承認。
    • CCEの4つの連絡機関により国際カイロプラクティック教育審議会(CCEI)設立。
    2002 平14
    • ブライアン・バジェルを代表とする日本脊椎研究基金(JFSR)の主催により、京都教育会議開催・京都会議で日本カイロプラクティック教育協議会(JCEC)準備委員会設立(会長:森口和晃)。CCE-Japan準備委員会を立ち上げる。
    • JFSRはCCE-Asiaを設立(会長:ブライアン・バジェル)するが、自然消滅。
    • JCOは教育事業として日本カイロIT学園を開校(翌年終了)。
    • WHOが「WHO伝統医療戦略2002-2005」を策定。
    2003 平15
    • JCOの村井正典はテレビ東京系「みのもんた、責任者でてこい!」に出演。
    • 日本カイロプラクティック連盟(会長:大越麗子)は、協同組合日本カイロプラクティック連盟を設立(会長:平山英樹)。
    • 関西カイロプラクティック医学院閉校。
    • KCSセンターはバイオトニックス社のカイロプリントシステムを日本初導入。
    • 国際カイロプラクティック教育議員連盟(会長:阪上善秀)
    • WFCフロリダ総会で、JCECは日本のカイロ教育会議を開催すると宣言。その後、規約制定、団体設立前に自然消滅。
    2004 平16
    • JCOは全国統一カイロプラクティック師免許試験を実施。合格者にカイロプラクティック師免許証発行。
    • 株式会社ネット(代表:桑岡俊文)はオーストラリアの公立大学 Murdoch University(マードック大学)とBachelor of Health Sciences(Chiropractic)コースの契約締結。
    • JSCCの2代目会長に中川貴雄が就任。
    • 日本カイロプラクティックエビデンス研究会設立(委員長:佃隆)。
    2005 平17
    • ガンステッド・カイロプラクティック・オブ・ジャパン(GCJ)設立(会長:松久正)。
    • 国際カイロプラクティック専門学院は、国際カイロプラクティックカレッジ(ICC)に改称。翌年より全日4年制開始。
    • RMIT大学日本校、アジア初の学校としてCCEA(ACCE)からCCE認可取得。
    • 日本カイロプラクティック師会改め、新生日本カイロプラクティック師会結成(会長:甲木昶)。日本カイロプラクティック機構(JCO)と決別する。
    • JCDC学長に小倉毅が就任。
    • WFCシドニー総会でWFC主催、日本のカイロプラクティック教育会議が開催。2005年日本での教育会議中止が決定。JACからは日本に414名の国際公認のカイロプラクターがいると報告。
    2006 平18
    • マードック大学カイロプラクティック学科インターナショナルスタディセンタージャパンが東京に開校。全日4年制半。
    • 第1回パーカーセミナージャパンが東京ビッグサイトにて開催(主催:パーカーセミナージャパン実行委員会、KCS)。
    • WHOからカイロプラクティックのガイドラインが発行される。
    • 南米カイロプラクティック連合(FLAQ)の公式会議が開催。
    2007 平19
    • カイロプラクティックを含めた学位商法(ディグリーミル)が社会問題化する。
    • マードック大学がCCEアクレディテーション認可取得。
    • 日本カイロプラクティックカレッジ(学長:須藤清次)が閉校する。
    • アジアパシフィックカイロプラクターズ連合(APCDF)の公式会議開催。
    • 第2回パーカーセミナージャパンが東京ファッションセンターにて開催(主催:パーカーセミナージャパン実行委員会、KCS)。
    • 国際カイロプラクティックカレッジ(ICC)が再び、国際基準以下の全日3年制教育に戻る。
    • MCC横浜はアースカイロプラクティックアカデミー(Earth Chiropractic Academy:ECA)を開校。
    • 大分県議会で渕健児議員がカイロプラクティックに関して質問。
    • JCOは第2回全国統一カイロプラクティック師免許証発行。
    • イタリアでカイロプラクティックがプライマリケアとして法制化される。
    • ポルトガルのアルカルベでWFC総会とECU総会が同時開催。
    2008 平20
    • JACTとJIMが統合し日本統合医療学会(IMJ)を設立。
    • 日本統合医療学会2008つくば会議がつくば市で開催。第1回日本統合医療学会が九州で開催。
    • パーカーセミナークラブ・ジャパン2008が日本赤十字社ビルにて開催(主催:パーカーセミナークラブ・ジャパン、KCS)。
    • 日本カイロプラクティック登録機構(JCR)設立(理事長:石川光男)。
    • 全日本カイロプラクティック学会(ANCA)設立(代表:宮部享典)。
    • WHO伝統医療学会が北京で開催。マニュアルヘルスケアのシンポジウムにWFCが協力参加。
    2009 平21
    • RMIT大学日本校は東京カレッジ・オブ・カイロプラクティックに改組改称。
    • マードック大学カイロプラクティック学科インターナショナルスタディセンタージャパンが三鷹へ移転。
    • 第1回日本統合医療学会認定のカイロプラクター誕生。
    • 日本カイロプラクティックアカデミーが新規学生募集停止。
    • PAAC経営ユニバーサル・カイロプラクティック・カレッジが1年制に移行。
    • 国際カイロプラクティックカレッジ(ICC)が再々度、全日4年制教育に戻る。
    • パーカーセミナークラブジャパン2009が日本赤十字社ビルにて開催(主催:パーカーセミナークラブ・ジャパン、KCS)。
    • 産学社エンタプライズ出版部が廃業。
    • JFCPは日本カイロプラクティック学士会(JCS)を発足(理事長:天野美苗)。
    • NCA創設の功労者である角野善則死去(1952?-2009)。
    • WFCモントリオール総会開催。
    • 米国フロリダ州セイント・ピーターズバーグ・カレッジにカイロプラクティック学部開校。
    • マレーシア国際医科大学にカイロプラクティック学部開校。
    2010 平22
    • 厚生労働省は統合医療の推進に向けたプロジェクトチームを設置。
    • 桑岡カイロプラクティック研究会は一般社団法人KCSに改組・改称。
    • ハンソ大学(韓国)と株式会社ネットの産学協同プロジェクトによりハンソ大学健康増進大学院カイロプラクティック学科理学修士号(Master of Science:MS)取得コースの提供開始。
    • CFJ、JCOの会長を歴任した大島正光死去(1915-2010)。
    • ハンソ大学(韓国)がCCEAアクレディテーション取得。
    • ハンソ大学の発起で International Conference on Chiropractic(ICoC)が初開催。
    • アジア・パシフィック・カイロプラクティック教育機関協会(CCIAP)がシンガポール会議で設立。
    2011 平23
    • JCRの第1回登録試験が国際カイロプラクティック試験委員会(IBCE)の協力で開催される。
    • 日本カイロプラクティック団体協議会(JCCO)設立(会長:川西陽三)。
    • JCOは第3回全国統一カイロプラクティック師免許証発行。
    • 日本ドクター・オブ・カイロプラクティック協会(DCジャパン)が発足(会長:後藤雅博)。
    • WFCリオデジャネイロ大会が開催。
    • CCIAP(アジア・パシフィック・カイロプラクティック教育機関協会)がソウルで開催。
    2012 平24
    • 竹谷内一愿死去(1943-2012)。
    • PAACの一機関としてSOTO-JAPANが設立される。
    • 国民生活センターは報告書「手技による医業類似行為の危害 ―整体、カイロプラクティック、マッサージ等で重症事例も―」を発行。
    • 一般社団法人日本手技マイスター協会(会長:池田勝光)設立。
    2013 平25
    • JCCOはWHOガイドラインを日本の現状に適合させた『カイロプラクティックの基礎教育と安全性に関するJCCOガイドライン(ジャパン・スタンダード)』を発表。
    • フジテレビ「スーパーニュース」で悪質カイロプラクティック業者の実態が報道される。
    • KCSのメンバーは日本国内における世界標準のカイロプラクティック教育実現に向けて、韓国ハンソ大学にてカイロプラクティック理学修士号(Master of Science major in Chiropractic)を取得。同メンバーは博士課程に進学し2015年に博士号を取得。
    2014 平26
    • 新潟と大阪で起きた「ズンズン運動」と称する独自の乳幼児向け施術による2件の死亡事件に対して、施術をしたNPO法人キッズスタディオン元理事長の姫川尚美と元副理事長男性に有罪判決が言い渡される。
    • WFCとアメリカ・カイロプラクティック大学協会(ACC)共同開催による教育会議開催。
    2015 平27
    • JFCPはカイロプラクティック業協同組合連合会と連携。
    • JFCPはカイロプラクティックの法制化と業界整備を目指し、業界18団体の参加と厚生労働省担当官の立会にて「カイロプラクティック意見交換会」を開催。
    • JCOは第4回全国統一カイロプラクティック師免許証発行。
    • WFC世界大会とECUの年次大会の合同大会がギリシャのアテネで開催。
    2016 平28
    • JFCP「カイロプラクティック意見交換会」は「カイロプラクティック制度化推進(準備)会議」(座長:伊佐和敏)に改称。
    • JSCCが一般社団法人化される。
    • リオデジャネイロオリンピックに後藤雅博、パラリンピックに伊佐和敏が派遣される。
    • アメリカの雑誌『PLAYBOY』の人気モデル、ケイティ・メイが脳卒中により急死。死亡の数日前にカイロプラクターによる施術を受けていたことからカイロプラクティックの安全性について注目が高まる。
    2017 平29
    • 「カイロプラクティック業界自主規制」が第3回カイロプラクティック制度化推進(準備)会議にて採択される。
    • 大川カイロプラクティック専門学院閉校。
    • 消費者庁は報道資料「法的な資格制度がない医業類似行為の手技による施術は慎重に」を公表。
    2018 平30
    • 『カイロジャーナル』(科学新聞社)休刊。
    • 第8回 世界手技療法会議(ICoC 2018)開催(大会長:中垣光市、主催:世界手技療法会議(ICoC)実行委員会)。
    • 厚労省は、あはき・柔整および関連業界に横行する不正広告の問題に対して、検討会を設置しガイドライン作成を検討。
    2019 平31
    令元
    • J.スウェニー死去(1947?-2019)。
    • 加瀬建造は全米テレビ局CBSの人気番組「イノベーションネイション」(世界の発明家を紹介する番組)に出演。
    2020 令2
    2021 令3

    出典
    • 竹谷内宏明『カイロプラクティック用語集』、科学新聞社、1997
    • 日本カイロプラクティック総連盟『カイロプラクティック 日本の20世紀』、JCAジャーナル 181、2000
    • CFJ 『The Chiropractors News』創刊号、日本カイロプラクティック連絡協議会、1999
    • 池田冨士夫『カイロプラクティック事典』科学新聞社、1983
    • 丁宗鐵監修『手技療法年鑑 2000年度版』たにぐち書店、1999
    • 丁宗鐵監修『手技療法年鑑 2008年度版』たにぐち書店、2008
    • カイロジャパンどっとCOM、http://archive.fo/bbxU
    • 『カイロタイムズ』1-115号
    • 『カイロジャーナル』34-91号

    ※その他、掲載された各団体の公式ウェブサイトを参照

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