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GCJ便り
- ドットとドットをつなぐ(136号掲載)
- 「昇龍」―Faster, Higher, Stronger―(135号掲載)
- カイロプラクターのカイロプラクター:その2(133号掲載)
- 私の米国留学時代(132号掲載)
- スピードが命(131号掲載)
- カイロプラクターのカイロプラクター:その1(130号掲載)
- ドクターガンステッドが唯一無二である理由(129号掲載)
- 新型コロナウイルスに感染して・・・(128号掲載)
- 「ガンドロイド」と呼ばれて(126号掲載)
- 喜びと奇跡(125号掲載)
- 五十にして天命を知る③(124号掲載)
- カイロプラクターとしての「成功のゴールデン・ルール(黄金律)」とは?(122号掲載)
- 五十にして天命を知る②(120号掲載)
- Going Extra Miles…(何マイルか余分に行ってやれ!)(119号掲載)
- ドクターガンステッドから教えられる誰も知らないこと(118号掲載)
- 五十にして天命を知る①(117号掲載)
- ガンステッド・カイロプラクティックの魅力とは?なぜみんな憧れるのか?(116号掲載)
- 物性から霊性の時代へ(115号掲載)
- 意志あるところにカイロ道(どう)が開ける?(114号掲載)
- 「Leave it Alone. (そっとしておけ)」の本当の意味とは?(113号掲載)
- 人類の巨人たちを通して学んだこと(112号掲載)
- 聖地巡礼~ガンステッド・クリニック~(111号掲載)
- ユズボーイズ(君ら若造)は、アジャストメントのパワーを知らなすぎる!(110号掲載)
- 人を救うのはピュアなハート(109号掲載)
- 原点回帰 in アリゾナ(108号掲載)
- 法則を疑うな。自分自身の意識を問え。(107号掲載)
- 『ガンステッド』が私に与えたもの(106号掲載)
ドットとドットをつなぐ
GCJ代表 ドクタードルフィン 松久 正MD, DC
私は、今生において、小学生の頃から、私でないとできない新しい仕事をすること、を、直感的に、使命として感じていました。しかし、その新しい仕事とは何であるかわからないまま、数年前まで、がむしゃらに、目の前の仕事に打ち込んできました。
まずは、国内において、医師になることを決心し、慶應義塾大学医学部を卒業、整形外科医となりました。地元の国立三重大学医局にて約10年間従事したのち、米国にカイロプラクティック留学、ガンステッドシステムを習得、それとともに、目に見えない世界である量子論や精神世界を強力に学びました。
その時その時には、それぞれの体験は孤立していてつながらず、しばらくの間は、自分の目指す道が見えない時期が続きました。
しかしながら、2008年暮れに、日本にいた父の急死をきっかけに急遽帰国となり、2009年に鎌倉に診療所を開業しました。
それから、15年の時が経とうとしています。いまでは、各々のドット体験がすべてつながり、自分だけが可能とする新しい医学 NEOMEDICINE が誕生しています。
がむしゃらに目の前のものに立ち向かう大事さを実感しています。
ガンステッドの恩師たち、すべての師たちに、大きな感謝を抱いています。
「昇龍」―Faster, Higher, Stronger―
小野 弘志DC
2024年(令和6年)1月1日16時10分ごろ、能登半島地震が発生した。新年に希望を抱く元日の家族団欒を引き裂くような自然の脅威に、人工知能(AI)が発達した現代でも「私達人間はいまだ無力である」という現実を痛感させられた。
今年5月15日に当院「ファミリー・カイロプラクティック」はお陰さまで開業20周年を迎える。2002年11月に帰国後、6か月間の無職プータロー生活。2003年4月から地元の高校で就職カウンセラーとして1年間勤務しながら開業の道を模索していた日々が昨日のように思い出される。
義理の兄から100万円を借りて申し込んだ山形県開業支援資金の融資が決まった日、「父ちゃん、治療院(施術院)を開業するよ!」と私は父に告げた。その当時、父はアルツハイマー型認知症を発症していたが、「んだがっ、したば(そうか、それなら)細く長くがんばれ!!」と答えてくれた。14年前(2010年)父は73歳で他界した。「開業して20年。父ちゃん、細く長くがんばってるよ」と今なら父に胸を張れる。
さて、昨年のコラムでは「スピードが命」と題して、迅速果敢な行動の1年にしたい!と述べた。今年は引き続き、そのスピード感をさらにグレードアップしたいのだが、それだけでは物足りない。そこで「Faster, Higher, Stronger(より速く、より高く、より強く)」というスローガンにした。それは奇しくも、オリンピックのスローガンと同じだった。今年はパリ五輪があるから、この言葉が私の潜在意識に降りてきたのかもしれない(笑)。
具体的には、①カイロプラクティック施術、②講演、③研修・講習の3つの事業を他喜力で行動したい(行動します)。数的な目標は記載しないが、目的(何のために)や自分のありかたを常に自問自答して向き合いたい(向き合います)。もっと簡単に言えば、上記①②③で「私は人を笑顔にしているか? そして、その行動に見合った対価を得ているか?」ということ。
ところで、江戸時代に生涯60回の真剣勝負に勝利した剣豪「宮本武蔵」は、「鍛錬」という言葉を五輪書に記した。
「千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす」
鍛は千日で約3年、錬は万日で約30年(諸説あり)。「何事も3年継続すればある程度のプロになり、30年継続すれば名人の域・境地に達する」と私は解釈している。つまり、私はまだ錬の道、半ば……まだまだ成長できる。そう、昇龍のように天高く突き抜けるのだ!!
最後に、能登半島地震でお亡くなりになられた方へ、深く哀悼の意を表します。被災された方々とその地域の復興を心からお祈り申し上げます。皆様に平穏な日常が一日も早く訪れますように…… 合掌。
カイロプラクターのカイロプラクター:その2
江川 哲也DC
ボクがガンステッド・カイロプラクティックを本気で学ぶきっかけをくださった恩師のひとりである、Dr.ラリー・ランダーズは、若かりし頃、テキサスから遠路はるばるウィスコンシン州にあるマウント・ホレブのガンステッド・クリニックに何度も足を運び、数日滞在し、Dr.ガンステッドから直接アジャストメントを受けていたエピソードは前回もお話ししましたね。
では、なぜDr.ランダーズは、自分の忙しいクリニックを休んでまで(テキサスからウィスコンシン州まで、もし車で行くなら2日かかります)、ガンステッドのアジャストメントを受けに行ったのでしょう? これは、ほとんどの人には理解できないことかもしれませんね。
いつもどおり大学の勉強会に教えに来てくださったある金曜の夜、Dr.ランダーズはボクらドクターの卵たちにそのことを話してくれました。
それは、「ガンステッドのアジャストメントに少しでも近づくためには、ガンステッド本人に直接触れてもらい、そのタッチ(触られる感覚)や微妙なニュアンス、そして伝わるエネルギーを自分自身で体感することだと思ったから」だったそうです。
Dr.ランダーズはテキサスに戻ってから、患者を診るときに毎回その感覚を思い出し、ガンステッドの繊細かつ優しい動きをイメージしながら、より自分に合ったアジャストメントのスタイルを追求していったというのです。
ボクもその話を聞いて以来、ガンステッド・セミナーや関連の勉強会に参加した際は必ず、一流のドクターたちのアジャストメントを積極的に受け、その時に受けた感覚、微妙なタッチ、それぞれのドクターのアジャストメントの特徴などを心と肌身に刻んでいくような気持ちで学んでいきました。
そうしていくうちにわかってきたことは、通常のガンステッド・セミナーのテクニッククラスでは、インストラクターのドクターたちが学生たちに対し、フォームや理論を説明しながら、手取り足取り教えていくというのが定番でしたが、そこで教えられた通とおりにやっているだけでは、ボクが求めている「あの領域」に辿り着くのはなかなか難しいということでした。あの「ミラクル・マン」の領域に……。
私の米国留学時代
GCJ代表 ドクタードルフィン 松久 正
米国から帰国して、もう14年経った。色々あったが、早いものだ。
私は日本で、整形外科医として現代医学に9年間携わった。そして、カイロプラクティック大学留学として渡米を決心し、9年間の学びをした。
当時、米国の有名大学や施設での基礎医学の研究であれば、有難いサポートのもと学べたが、カイロプラクティックという現代医学にとっては破天荒な分野での留学には、当然ながら非常な逆風があった。
給料は全くなくなり、資金援助を受けながら貯金を使い果たして、転校により就学期間が5年間となった過程を終え卒業、Doctor of Chiropractic の国家資格を取得後、アリゾナ州臨床免許にて、4年間、ガンステッドカイロプラクティックの重鎮 Dr. Laraのもと、フェニックスで腕を磨いた。
それまでは、症状や病気に対して、投薬、注射、手術、化学療法にて対処していたが、それらとは無縁の手技療法と向かい合った。その経験中は、身体を外から変えるという世界から、人間と宇宙とのつながりから、身体というものを診る世界に浸った。
最初は、米国カイロプラクティックの内情を知らず、診断学・ケース別アプローチを自負する「ロサンゼルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(LACC)」に入学した。そこで10学期中の6学期までを過ごしたが、やはり、現代医学を長く体験した自分にとって、その延長であるようなLACCの教育には、私をそこに留めるだけの魅力はなかった。
2003年、大きな決断をして、カリフォルニアとは大きく環境が異なるカイロプラクティックの創始機関 パーマー・カレッジ・カイロプラクティックに転校した。大学同士で、お互いに受け付けない単位などがあり、卒業までの期間が1年ほど伸びてしまった。
しかし、ここでは、現代医学やLACCでは学べない、宇宙叡智と人間哲学を学ぶことができた。まさにこれこそ、私が必要としているものであった。パーマー大学の卒業時、最高位成績賞とともに、名誉なことに学長賞と哲学賞を受けた。
卒業後は、アリゾナ州フェニックスのDr. Laraのもとで、カイロプラクティックによる患者診療を経験したことは大きい。同時に、近隣にあるエネルギースポット「セドナ」に通い、スピリチュアルやエネルギーを学んだ。
そして、父の死をきっかけに急遽帰国を決意、2009年4月鎌倉に「鎌倉ドクタードルフィン診療所」を開業した。
いま、世界の誰も真似することができない、異次元の新医学を発信している。
スピードが命
小野 弘志DC
新年明けましておめでとうございます!
(おそらく131号webコラムがアップされる頃は令和5年になっていることであろう)
話題を筆者が過去2回のコラムで述べている新型コロナウイルスに移そう・・・。
さて今、世界でマスクをしているのは中国と日本の2つの国だけと言われている。そして、マスク無しで歓喜の声援を送っているワールドカップの各国サポーターの映像を見たから?!とは確証できないが、ゼロコロナ政策に嫌気が差した中国人のデモが中国各地で起こっている。幸い、日本ではこのようなデモは起きていないが、もうそろそろ日本人もマスクを外そうではないか!!
3年間のコロナ禍において、日本と世界の動向を比較することで我々日本という国の気質、文化、思考、宗教観、政治、経済、医療、法令など、さまざまなシステムの問題が浮き彫りになった。ここで特筆したいのは日本人の「スピード感の無さ」、言い換えれば『決断力が遅い』。
このパンデミックにおいては情報量に溢れ過ぎた現状を瞬時に精査・分析して決断、実行・行動した者が先を行く・・・ そう、「スピードが命」なのだ!この過程でエラーや間違いの発生は想定内で、トライアンドエラーで間違いは素早く修正すればいい。しかし、周りの空気を読み、失敗を恐れ、何かと責任の所在を気にする我々日本人は断行できない。嗚呼、日本はいつからこうなってしまったのだろう?
ところで、ガンステッド・カイロプラクティックを学んだ人間なら当然知っている言葉がある。“Find the subluxation, accept it where you find it, correct it and leave it alone.” 「subluxationを探し、受け入れ、正してそれに任せる」。つまり、私たちカイロプラクターは、日々臨床で患者さまの背骨を診ながら瞬時に分析、決断してアジャストメントを実行している。そのアジャストメントが適していれば継続し、効果・結果が得られなければ再分析して新たなアジャストメントを施せば良い。この瞬時の分析、決断、実行というプロセスが習慣づけられたカイロプラクターにとって、日本の新型コロナウイルスに対する歩調はあまりにも遅すぎて歯痒い。
しかし、泣き言を言っても世界を変えるのは自分で踏み出す一歩から!即ち『己こそ己の寄るべ己を置きて誰に寄るべぞ。よく整えし己こそまこと得難き寄るべなり。』(引用:仏教経典「法句経」の中の一節)
さあ、2023年の私のテーマは「スピード」、一言で表せば『速』。迅速果敢に行動して現状を打破したい(します)。「なりたい自分」から『ありたい自分』へ意識変容する土台作りの1年にしたい(します)。そして、他喜力(他人を喜ばせて喜んでもらえる喜び)が沁み込んだ人間性を磨き、ライフワーク・志事(仕事)に没頭したい(します)。日本にマスク無しの笑顔の花をいっぱい、いっぱい咲かせたい(咲かせます)!!
カイロプラクターのカイロプラクター:その1
江川 哲也DC
われらが「Dr. G(ジー)」ことクレアランス・S・ガンステッド,D.C.は、「ミラクル・マン」という異名を持っていたことをご存知ですか?この背の低いずんぐりむっくりの無口な男が起こすという「奇跡」を求めて、何にもない酪農の農業の小さな田舎町・マウント・ホレブにある「ガンステッド・クリニック」へ世界中からたくさんの人が訪ねていったそうです。このDr. ジーにはもうひとつのあだ名があったそうです。それは、「カイロプラクターのカイロプラクター」です。これは、たくさんのカイロプラクターたちも、ガンステッドのアジャストメントを受けるため、遠路遥々マウント・ホレブを訪れ、ガンステッド・クリニックに併設してあるモーテル「カラカル・イン」に数週間滞在しながら集中してDr.ジーのケアを受けていたことから付けられた異名だというのです。ボクがテキサスのパーカー大学の学生だった時師事した、Dr.ラリー・ランダーズもその「カイロプラクターのカイロプラクター」にアジャストしてもらったという貴重な経験の持ち主でした。Dr.ランダーズに初めてお会いしたのは、パーカー・ガンステッド・クラブ主催のセミナーが開かれたある金曜日の夜でした。その当時、Dr.ランダーズはすでに74歳、臨床経験は45年の大ベテランでした。身長は180センチ前後あり、手足もスラっとしてとても長く、70代とは到底思えないほどのバイタリティーに溢れ、と同時に深い慈愛と優しさに満ちた静寂感と、長年培った高い技術と臨床経験からくる、底知れぬ確信を兼ね備えた存在のように、ボクの目には映りました。Dr.ランダーズは長年、後進育成のためにと毎年2、3回ほどの頻度で、パーカー・ガンステッド・クラブに来てくださっていました。毎回4、5時間ぶっ続けの気迫のこもったセミナーでした。ドクターは終始ほぼ立ちっぱなしで、何も知らない学生のボクらに語り続け、希望者一人ひとりを丁寧に解説しながら、アジャストメントをしてくださったあの情景は今でもはっきりとボクの脳裏に焼き付いています。これだけ内容の濃い、千載一遇の学の場をくださったにも関わらず、受講料は無料で、ボクたちから決して一度たりとも1セントも受け取ろうとはしなかったのです。
ドクターガンステッドが唯一無二である理由
GCJ代表 松久正MD,DC
ドクターガンステッドは、どうして大きな違いを生み出したのだろうか? それは、正確な分析や的確な施術によるものであるのか?いや、そうではない。その生き方なのである。
私は、米国アイオワ州ダベンポートのパーマーカイロプラクティック大学に留学中、その北にあたるウィスコンシン州マウントホレブにあるガンステッドクリニックに、毎月通っていた。その時に、ドクターガンステッドの一番弟子であったドクターアレックスから、師匠のことを、よく聞いていた。
師匠であるドクターガンステッドは、特に趣味を持たず、睡眠時間以外の一日の時間のすべてを、患者の施術と分析に当てていたという。彼の頭の中は、常に、自分が関わった人間を良くすることで占拠されており、それ以外のことには、全く割かれなかったようである。これこそが、彼を、類稀なる、世界の診療家にした事実なのだ。彼が、もし、良い家庭人であったなら、もし、社交家であったなら、もし、それ以外のものに興味を持っていたなら、恐らく、大勢の普通の医療人の一人になっていたであろう。
時は変わり、いまの世を見てみると、一つのことに、変人レベル、変態レベルで没頭できる人間が、果たして、どれぐらい、いるだろうか?世界を変える存在というのは、そのように、まさに、狂気じみているのである。それは、アインシュタインしかり、エジソンしかりであろう。
いまの世の中を見渡すと、カッコよく生きる人間、体裁よく生きる人間、良いお父さん、お母さん、良い旦那さん、奥さん、良い先生、を演じている者ばかりである。
また、多くの人間にとって、仕事は、人生の一部であり、趣味や遊びを持つことで、バランスをとっている。
私が言いたいのは、人生を楽しむな、遊ぶな、ということではない。むしろ、喜びと感動を常に感じることこそ、人生を豊かで幸福にしていく秘訣である。しかし、大勢の中で、飛び抜けた、唯一の存在になるには、一つのものにただ没頭する、誰からも理解されない存在、そして、最初は誰からも馬鹿にされる存在になるべきと言える。さらには、その状態をある一定期間ブレることなく続けることが、必要不可欠なのだ。決して、スマートな人間では、なし得ないのである。
新型コロナウイルスに感染して・・・
小野 弘志DC
前号(124号)コラムから1年が過ぎた。コロナ禍3年目の2022年に前号を振り返り、現在とこれからの未来に思いを馳せてみる。
まず、現時点(3月27日)の新型コロナウイルス国内感染者数は4万3365人で、前週3月20日より約3700人増加。第6波オミクロン株は依然猛威を奮いながら、花見や春休み、入学式・入社式、新生活の引越移動、そして4月29日からゴールデンウィークを迎える。したがって、5月中まで感染者数は落ち着かないだろうと筆者は予想する。
しかし、以下に示す世界のコロナ感染者と死者の数を比較すれば、日本のコロナ実態が決して悪いとは言えないのが分かる。
◎感染者(日本:633万3118人、米国:7994万6099人、英国:2084万8913人、韓国:1181万5841人)
◎死者(日本:2万7715人、米国:97万6652人、英国:16万5046人、韓国:1万4899人)
また、デルタ株と比べてオミクロン株は感染力(伝播性)が強く、潜伏期間は平均的に3日あまりだが重症化リスクは低いとされる。嗅覚障害や味覚障害の特徴があったデルタ株に対して、オミクロン株は咽頭炎(のどの痛み)の割合が増え、咳・倦怠感・発熱・頭痛・鼻水の症状は共通。加えて、オミクロン株は10歳未満の子供の新規感染者が拡大傾向、その影響で筆者の長女が山形県代表として出場予定だった「小学生バレーボール全国大会」(島根県)はあえなく開催中止となった。
そして突然、筆者の家族にも訪れた・・・新型コロナウイルス・オミクロン株が!!
2月下旬、家族2名が発熱・頭痛・のどの痛みを訴えて病院に行った。30分後、家族からLINEメッセージが届く、「コロナ陽性でした」。その瞬間、「あー、(コロナが)来たかあ!」と思いながら、時間が止まったような不思議な感覚があった。同時に筆者と他の家族も濃厚接触者となった。その2日後、PCR検査を受けた筆者と長女が陽性となった。のどの痛みと発熱があった筆者に対し、長女は全くと言っていいほど無症状だった。陽性と宣告された長女は予期せぬ結果にショックを隠せなかった。
新型コロナウイルスに感染して、筆者の家族は自宅療養を選択した。各々、検査陽性となった日から7日間(症状に応じて7~10日間)の療養期間として自宅隔離。やはり、食料補給が危急の問題となるが、筆者の姉や友人が買い出しに奔走してくれた。しかし、毎日買い出しをお願いするのは流石に申し訳なく感じ、イオンの宅配サービスを利用した。配達員と会うことなく、品物を玄関に置いて帰る宅配サービスはコロナ禍が生んだビジネスと言っていいだろうが、とても便利で助けられた。
自宅待機で日を追うごとに家族全員のストレスが溜まってくる・・・やがて些細なことで直ぐ口論になってしまう。仕事をしないと基礎代謝が低下、(言うまでもないが)外で運動ができない、さらに三食を食べることが1日の唯一の楽しみになり、確実に体重が増える。テレビ、SNSに没頭する時間が多くなる。ウクライナとロシアの戦争の報道を見ながら「我が家も隔離状態だが、命の危険がないだけ有難いと思わねば」と感じた。余談だが、インスタグラムの動画を毎日1時間以上見ていると、脳細胞は間違いなく悪い方向に向かうと感じた。平日、長男・長女は学校のリモート授業を黙々と受講していたが、これもコロナがもたらした文化だろう。
こうして外の世界と隔離して、起床→朝食→洗濯→昼食→昼寝→掃除→夕食→あと片付け→お風呂→就寝、というような其の日暮らしの生活を1日、また1日と消化してやっと療養解除となった。
今のところ筆者と家族は症状も軽く、後遺症に悩まされることもなく、通常の生活を取り戻している。オミクロン株に感染したのは(特徴や症状から)間違いないが、感覚的には「風邪をひいた程度」としか言いようがない。オミクロン株でも高齢者や基礎疾患のある方は重症化するケースがあるようだが、今回はただ幸いだったのかもしれない。自宅隔離は正直、もう二度と経験したくないが、悪いことばかりではない。我らはごく自然に抗体を獲得した訳で、暫くの間は感染に対する不安が少ない。コロナ感染を経験したことで違う視点・視野から現状を分析することができるし、困ったときに助けてもらえる有難さや真心を肌で感じることができた。
さらに言えることは「子供からの家族内感染を避けることは相当難しいだろう」というのが本音。末っ子に幼児を抱える筆者の家族では、症状の無い状態で家庭内マスク着用は現実的ではない。しかも家族には既に3回目のワクチン接種者もいたが、もれなく感染した。やはり、ワクチンは予防ではなく、ただ重症化を防ぐツールでしかないのだ。
さて、これからも新型コロナウイルスは数年、いや数十年は変異し続けると推測する。これまでの経緯からすればウイルスの伝播性は強くとも着実に弱毒化し、世界の人々が抱く恐怖心は和らいでいくだろう。でも、当分の間は3密を避け、マスクを着用し、手洗い・手指消毒、換気の徹底、大勢での飲み会の自粛などが厚生労働省から継続的に要請されるであろう。
こうしてみると結局のところ、「免疫力を高める」ということに終始一貫するのではないだろうか? すなわち、免疫力を高めるには一般的に言う「規則正しい生活」をすること。具体的には「適切な運動」「バランスの取れた食生活」「質の高い睡眠」、いわゆる運動・栄養・休養である。肥満や高血圧などの生活習慣病を避け、基礎疾患のない健康な状態を保っていれば、コロナに感染しても(筆者と家族のように)重症化リスクを防ぐことができるのだ。もう一つ重要なことがある。コロナ禍になって一層ストレスが溜まる現代は、メンタルヘルス、つまり心の健康を保つことに意識を向けなければいけない。なぜなら、コロナの影響による自殺は一種の社会問題となっているからだ。
ここまで読んでお気づきの方もいるだろうが、朗報がある。実は、コロナ禍だからこそ業績をあげた企業や業種が存在する。先に述べた宅配・物流業やリモート通信・IT業、マスクや消毒用アルコールなどの衛生用品製造はその代表例であるが、メンタルヘルスの観点から「心と身体のバランス」を保つ健康事業、フィットネス事業、アウトドア・レジャー事業はステイホームからWithコロナ時代に移行する今、人々に必ず求められる分野となる。いわばステイホームが叫ばれた時代は人と交流することが御法度だったが、同じ島国であるイギリスを筆頭に世界の各国でWithコロナが経済活動を優先させる舵を切っている。
要するに、コロナ禍は「カイロプラクティック業界のチャンス」なのだ!! 人々は経済活動を復旧しながらウイルス感染しても重症化しないような「免疫力を高める」ライフスタイルを模索し始める。そこにカイロプラクティックはうってつけではないだろうか?!
しかしながら、インスタグラムやYouTube等で発信される「ボキボキ・バキバキ施術動画」には警報を促したい。施術院の営業や宣伝・広告としてSNSを活用するのは当たり前の時世だが、「何のためのアジャストメントや施術なのか?」を患者ファーストの立場になってカイロプラクターはカイロプラクティックを自問し、律する視座が求められるのではないだろうか。 然もなくば、歴史は繰り返し、施術事故を招くことになり、それをSNSで拡散されるのは皮肉である。
結びに、カイロプラクティック哲学を筆者は『ガンステッド・カイロプラクティック』を通して学んだのだが、そのカイロ哲学やカイロプラクターとしてのマインド(mind)やスピリット(spirit)は約130年経ても色褪せることなく、このコロナ禍になお一層新鮮にうつる。例えコロナウイルス以外の新たなウイルスが出現しても、それに対する新しいワクチンが発明されても、カイロプラクティック普遍の原理原則に真摯であれば全くブレることはない。生命エネルギーがしっかりと各細胞・組織に伝達された状態を保てば、自ずと免疫力や自然治癒力は機能する。その志事(仕事)ができるのがカイロプラクティックであり、カイロプラクターなのだから・・・。
「ガンドロイド」と呼ばれて
江川 哲也DC
大学時代、学生の間ではガンステッドを熱心に学ぶヤツらは、「ガンドロイド」と呼ばれていました。テクニックと呼ばれるものには数百通りあるらしいのですが、他を学んでいる学生たちへのあだ名はというと、特に聞いたことはありませんでした。なのに、ガンステッドを熱心に学ぼうとしている学生たちだけが、「ガンドロイド」と呼ばれるのです。
クラブの仲間たちでも、特にスタッフ(他の学生に教える立場の人たち)はテクニックも上手なので、学生クリニックでも、卒業目前になると務める外来クリニックでも、一目置かれる存在でした。
テキサス・パーカー大学の初日、大学の体育館内で入学オリエンテーションというのがありました。そこで入学手続きを済ませた後、出口に向かって歩いていくと、いろいろなテクニッククラブの先輩たちが、それぞれブースを出して新入生たちを勧誘していました。その中で、ボクの注意を一番引いたのが、学生には見えない、40過ぎの白髪まじりのおじさんのブースでした(今想うと、何となくDr.ガンステッドに似ていたかも)。たった一人で、「1日目から、ハンズオン・プラクティス(実際に人に触れてテクニックの練習ができること)ができるよ!君たちの将来の成功は、的確にアジャストメントができるかどうかにかかっている。一緒にガンステッドを学ぼう!」と言いながら、ガンステッド・クリニック(ウィスコンシン州・マウントホレブ)で使われていた「サブラクセーション退化」のチャートのコピーを配っていました。実はこの先輩、米軍の退役軍人でありながら、元某オーケストラのトランペット奏者で、原因不明の症状でトランペットが吹けなくなり、いろんな医者に診てもらっても全く改善しなかったのが、ガンステッド・カイロプラクティックのドクターのアジャストメントを受けて、奇跡的に改善したという、感動的体験をした人だったのです!ガンステッドに魅了された50近くのこのおじさん、周りにいた学生たちに比べ、お腹ぽっこりで、かなり老けて見えるからなのか、明日から始まる5年間の授業単位数のカリキュラムを、3年で終わらせるという超殺人的なスケジュールを目前にし緊張していたからなのか、ほとんどの新入生たちは彼のブースの前をほぼ素通りしていました。ぼくは他の大学(クリープランド・カレッジ・ロサンジェルス校)からの転校生だったので、一年生のカリキュラムの4分の1の単位は取れていたため、比較的時間に余裕があり「これをチャンスに、テクニッククラブに早速入って、腕を磨こう!」と考えていたし、LA在住時代の恩師たちからも「一流になりたかったら、まずガンステッドを学べ!」と言われていたので、このおじさん先輩に、「ボクも仲間に入れて!」といってクラブの一員にしてもらいました。その後、ぼくもいつの間にか、ガンドロイドと呼ばれるようになっていました(笑)。
喜びと奇跡
GCJ代表 松久正MD,DC
わたくしは、幼いころ医師になると決めたとき、「誰もが救えない人類に、夢と希望を、喜びと奇跡を、提供できる存在になろう」と、決意しました。
東京大学理科III類(医学部)と並んで、医学部偏差値最高峰である慶應義塾大学医学部を卒業し、現代医学の可能性に賭けて励んでいましたが、大きな限界を感じることとなります。
その後、カイロプラクティックに賭けて、米国に10年間の留学をしました。妥協を許さず、カリフォルニア州の大学から、本家本元のアイオワ州パーマー大学に転校し、私が最も可能性を感じたガンステッドシステムを学びました。
さらには、全米で由緒あるガンステッドセミナーを日本に誘致して、それをマスターすることに力を注いだのです。
そうして、ガンステッドカイロプラクティックに全てを賭けてきましたが、私が求める奇跡の医師であるために、不可能を可能にするためには、どうしたら良いのか、と、医学とカイロプラクティックの壁を超えて、果敢に攻めてきました。
その結果、量子力学、エネルギー医学、宇宙科学、心理学、哲学、宗教、精神世界(スピリチュアル)といった、あらゆる世界を探求し、私でないと提供できない、地球三次元を超えた、高次元医学を創造するに至ったのです。
そのご褒美か、私には、私以外にはない能力を持つことになりました。人間エネルギーはもちろんのこと、地球のエネルギー、目に見えない存在のエネルギー、さらには、宇宙存在のエネルギーに至り、それらを修正、次元上昇させることができるようになりました。
いまや私は、誰にも理解されず、誰もついてこれない状態を生きています。ですから、人類と地球を、救えるのです。
しかし、これは、現代医学の知識と体験、さらには、ガンステッドカイロプラクティックの知識と体験がなければ、なし得なかったことです。
これだけは、自信をもって言えます。
ガンステッドカイロプラクティックを習得することは、人間生命を理解するうえで、何よりも最強です。
五十にして天命を知る③
GCJスタッフ 小野 弘志DC
今なお世界がコロナ禍に直面している2021年、私は開業18年目を迎えた。2015年12月に「ファミリー・カイロプラクティック」が移転して5年が過ぎ、東日本大震災からちょうど節目の10年。今年5月で50歳になる私は、人生100年時代の半ばに立ち、コロナウイルスに翻弄される今現在と、アフター・コロナ(コロナ終息後)時代に向けて思いを馳せる・・・。
前回(120号Vol.24)で、「こころとカラダを元気(PEP)にする!」という目的と、使命を掲げた当院の第2ステージは、講演活動(こころ)とカイロ施術(カラダ)によるアプローチであることを触れた。2013年3月から師事した呼吸法の加藤俊朗先生に、ある日「人のこころを癒すのは『言葉』だ!」という啓示を授かったのがキッカケだった。こうして、2015年3月から、一般財団法人日本ペップトーク普及協会認定講師として、5年間で約200回の講演会を積み重ねてきた。
しかし、2020年2月27日、新型コロナウイルス感染拡大による全国の小中高への臨時休校要請以降、事態は急変した。昨年の講演数は15回で、予定していた講演会が全て中止になった。でも、『言葉』の活動ができなくなって悲観しているか?と言えば、実はそうでもない。幸い、生業のカイロプラクティックに生計は助けられた。もちろん、お互いがマスクをしても施術中は患者様との距離は近くなる。密な環境を敬遠して定期メンテナンスの患者様の来院が減った。さらに部活動が制限された影響で、毎年必ず来院する中高生の新患アスリートが激減。それでも深刻な打撃を受けている飲食業や観光業、文化・芸術・スポーツ、サービス業とその他の関連業種と比較すれば、私たち施術家はまだ恵まれているのではないか⁈と感じた。患者数が減ったとはいえ全くゼロではないし、コロナ禍でも来院してくれる患者様がいることの有難さに感謝の気持ちが湧いた。
おそらく、大方の科学者が予想するように、コロナ終息は来年いっぱいまでかかるであろう。もしかしたら、終息ではなく収束レベルの状態が、再来年以降も続くかもしれない。しかし、今よりは来年、来年より再来年と、いずれコロナの脅威は世界から消沈していくだろう。
さて、コロナ禍にニューノーマルという言葉が生まれた。今後も引き続き、リモートワークやオンライン会議の文化は残るであろう。しかし、コロナ禍を経験して私たち人間は、以前より「もっと人間を欲しているのではないだろうか?」。つまり、私たち人間は触れ合いたいし、近づきたいし、密になりたい。自粛と戒められた飲み会や旅行、文化・芸術・スポーツ、ありとあらゆる人対人の対面コミュニケーションが「どれだけこころの豊かさを人間にもたらすのか?」を、身をもって経験した筈だ!究極的な言い方をすれば、古代から人間は「祭り」なしでは生きられないのだ!!
コロナ禍に直面して、「人生100年時代をどう生きたいのか?」「どう生き抜くのか?」「どうなりたいのか?」「どうありたいのか?」を、私たち人間は問われているのではないか?
私はできる限り、後悔のない人生を歩みたい。「あれをやっとけば良かった・・・」と臨終で悔いたくない。私自身が楽しく生きるために、人が喜ぶことに貢献してお金を頂く生き方を、残り50年の半生をかけて新たにチャレンジしたい。家族や友人と大好きな旅行を沢山したい。世界遺産を見て廻りたい。もっと自分と違う世界の文化と触れ合いたい。本を出版してベストセラーになって、講演しながら世界の人々を笑顔にしたい。来年は20年振りにスキーをしよう。子育てが落ち着いたら念願のオートバイにまた乗ろう。3人の子供の結婚式で「あのお父さん、一番号泣していたよね」って言われたい。あと50年あれば、いろんなことができそうな気がする。だけど、今一瞬にエネルギーを出し切ることをいとわない。こんな思いや想像、ワクワクする夢や希望を抱かせてくれたのは、新型コロナウイルスのお陰かもしれない。
今後もコロナ禍を取り巻く困難は世界中で続くであろう。しかし、「事実は一つ、解釈は無数」。どんなマイナス状況でも私たち人間は、感謝することで目の前の世界を一瞬で変えることができる賢者なのだ。さあ、コロナ禍を共に生き抜いた伝説の勇者になろう!!
最後に、新型コロナウイルスで人生が一変した方、お亡くなりになられた方、職を失った方、生活が困窮している方、後遺症に悩んでいる方、医療・運送など感染リスクの最前線で働いている方、不安や恐怖で生きる希望を失っている方・・・私たちが生かされているこの地球に、こころ安らかな日々が一日でも早く訪れますように。While there is LIFE there is HOPE(命ある限り希望がある)。『言葉』の力が誰かのこころに届くことをお祈り申し上げます・・・合掌。
カイロプラクターとしての「成功のゴールデン・ルール(黄金律)」とは?(122号掲載)
江川 哲也DC
Dr.ジョン・コックス著:「Dr.“ジー”の足跡の中で」に、「1918年初頭、深刻なパンデミックが起こり、アメリカ全土に流行したため多くの死者が出た。(これは「スペイン風邪」という俗称で記録されており、この世界的感染の事実を記したジーナ・ロラタ著:「Flu」によると、6ヶ月でおよそ1億人の死者が出たらしい。それは史上起こった戦争で出た死者数をすべて足した数をはるかに上回ったとされている。)この時、当時の医療施従者たちには全くなす術がなく、できることといえば、感染者を隔離し、安静にしておくだけだった(p6)。」とあります。当時のカイロプラクターたちが感染者たちをアジャストし、多くの生命を救った記録が今も残っています。ガンステッドが独立したのは、その6年後の1924年、世界恐慌が始まる4年前です。こんな大変な時代に、新米カイロプラクターは立ち上がったのです!
ガンステッドが開業当初にしたことは、朝7時から夜10時までオフィスで診療した後、風邪やインフルの症状がひどく、オフィスに来ることのできない患者たちの自宅へ往診に行くことでした。時には高熱で苦しむ患者に一晩中付き添い、峠を越して熱が下がるまでアジャストし続けたこともあったそうです。
当時のパンデミックと世界恐慌のはざまで、Dr.“ジー”がしていたことは、まさにヒル博士のゴールデン・ルール:「自分がしてもらいたいことを、まずは他人にしてやる」こと、そして「Going an extra miles:何マイルか余計に行ってやれ!」だったのです!
今回の新型コロナで、全人類が岐路に立たされています。世界中でまさに「パラダイム・シフト:今までの常識が大きく覆され、新たなモノの見方、とらえ方に転換される」の時が来ています。ナポレオン・ヒルのThink and Grow Rich:邦題(“思考は現実化する”)の294ページにある「逆境の中にはすべて、それ相応かそれ以上の大きな種が含まれている。」の通り、今がまさにチャンスの時なのでしょう。
会社経営者の友人たちからは、「テッドさん、支援金や融資を受けなくでも大丈夫ですか?」と心配されたりしましたが、7月の決算報告では例年よりも黒字で、監査役の税理士の先生からも「医療関係のクライアントさんたちも今回はほとんど赤字なのに、スゴイですね。不思議です!」と褒められてしまいました。
この困難な時代に、地域をはじめ遠く県外から、沢山の方々がアジャストメントを受けに来てくださっていることに日々感謝です。これも、恩師たちやガンステッド・セミナーを通じて心に刻まれた、「カイロプラクティックとは、宇宙の法則(エネルギー)を(よりシンプルに)理解し、(患者に対してより分かり易く)説明してあげることだ。そして、カイロプラクターがその法則と一緒に歩んでいくなら、その法則は常に彼らを守り、サポートしていくだろう。」という私たちのゴールデン・ルールを信じ実践して来たから?と思っています。
五十にして天命を知る②(120号掲載)
GCJスタッフ 小野 弘志DC
2015年12月、私は施術院を山形県酒田市光ヶ丘に移転。「こころとカラダを元気(PEP)にする!」という目的と使命を掲げた開業12年目「ファミリー・カイロプラクティック」の第2ステージからもう既に4年の歳月が経過した。
この間、実はカイロプラクターとして日々の臨床だけでなく、私は「講演家」としての活動を精力的に行ってきた。同じく2015年3月からスタートした講演活動はお陰さまで、これまでの5年間で200回近くにのぼった。現在、私は「一般財団法人日本ペップトーク普及協会」の認定講師で、地元・山形から東北を越えて神奈川・大阪・福岡など全国でペップトークを伝えている。
それでは、そもそも何のために、私は講演活動を始めたのだろうか?
2004年、開業当初「石にかじりついてでも10年続ける」ことが目標だった理由は「人のカラダを10年触って分かる感覚があるのではないか?」と 漠然と感じていたからだ。そして、開業10年を過ぎる頃、ある疑問が浮かんだ。それは、施術でカラダの状態が良くなっているのに、その「良くなっている状態を実感できない患者さま」がいることだった。このような患者さまは感覚的に年間でたった1〜2人の割合。勿論、私の能力・技術・経験不足などで貢献できなかった患者さまは10年間で山ほどいる。しかし、「良くなっている状態を実感できない患者さま」は 何かが違う!何故なら、貢献できているのに貢献できていない・・・近くて途方も無く遠い無力感に襲われるのだ。
そこで、この疑問に対して立てた仮説は「例えカラダの状態が良くなっても、こころのあり方・状態が良くなければ カラダの健康を受容できないのではないか?」。つまり、私達人間は「心身一如」と仏教用語で表されるように「肉体と精神は切り離すことができない一つのもの」。だから、カラダだけでなく「こころ」を満たして初めて『真の健康』を享受できるのだ!じゃあ、「こころを癒すには・・・?」
2012年2月、私の母が73歳で逝去。その2年前の2010年3月には父が同じ73歳で他界した。父は退職前に肝炎を患い、長期入院から今度はアルツハイマー型認知症を発症。退職後、徘徊・排尿を繰り返す父の介護生活が始まった頃、2002年11月に私が約7年のアメリカ留学から帰国した。要介護度が上がるたびに父は介護施設を転々としたが、最後は脳梗塞で寝たきりになって再び自宅に戻ってきた。父の介護生活に携わった8年間は大変だったが、一緒に週1回温泉施設に行ったこと、結婚して初孫である私の息子を父が抱いた光景は今でも忘れられない。
父の旅立ちと比べて、母は突然この世を去った。働くことが大好きだった母は仕事帰りの運転停車中に心筋梗塞でそのまま旅立った。母の死の直前、母と私の関係は良好では無かった。そんな関係性を残して母との別れが訪れた。母を助ける救急車が1台、その後に消防車両がもう1台サイレンを唸らせて私の(移転前の)施術院の前を通り過ぎた。そして、間もなく母の異変を知らせる電話が鳴った。病院に向かう途中、父の斎場へ向かったときと同じ景色が見えた。真っ青な青空に雪化粧の鳥海山を見た瞬間、私は感じていた・・・もう母がこの世に居ないことを。
年の離れた2人の姉の下に生まれた長男の私に、両親は特別な愛を注いでくれた。東京の私立大学在学中に柔整専門学校に通学、そしてアメリカ留学まで。無いお金を掻き集めて奔走してくれたのは間違いなく母だった。そんな母に私は一生取り返しのつかない別れをしてしまった。後悔の念から呼吸することが苦しくなった。そして、母の一周忌を終えた2013年3月から私は、呼吸法の加藤俊朗先生に師事して指導を仰いだ。加藤先生と呼吸法の仲間と過ごした時間が私の傷ついた「こころとカラダ」を本当に癒してくれた。
ある日の呼吸のレッスンで加藤先生が「聖書には『はじめに言葉ありき』と書かれている」と語ってくれた。その瞬間、私の背骨にゾクッと電流が流れた。「ああ、そうか!人のこころを癒すのは・・・『言葉』だ!」
Going Extra Miles…(何マイルか余分に行ってやれ!)(119号掲載)
江川 哲也DC
100年以上も前に書かれ、今もなお世界的ベストセラーとして多くの成功者たちのバイブルとして知られる、ナポレオン・ヒル著「Think and Grow Rich:富める者になるために考え・成長しよう!」はボクの愛読書の1つです。今まで英語の原著は何度も読んできたのですが、日本語では恥ずかしながら一度も読んだことがなかったので、去年からスタッフ教育と自分の日本語の勉強も兼ね、和訳版:「思考は現実化する」(きこ書房)を、早朝診療前のミーティングの際にボクのCA(カイロプラクティック・アシスタント)と一緒に読んでいます。
ナポレオン・ヒル博士は、生涯カイロプラクティック・ケアを受け続け、85歳になった時も「まるで40代の体だ!」と驚かれたほどエネルギッシュで、「私の健康維持のため、週一回のカイロプラクティック・アジャストメントは絶対に欠かせない。」と断言していました。また同書の中でも、第11章「無料の講演」(381ページ)で、パーマー大学にて講演したことや、B.J.パーマーとの感動的出会いやそれにまつわるエピソードを紹介するなど、カイロプラクティックのよきサポーターでもありました。
ヒル博士が25年に及ぶ歳月を費やし、体系化した「成功するための17の原則」の中で、ボクが一番大切にしているのが、「Going Extra Miles」です。これは、「報酬以上の仕事をする」という鉄則のことで、診療やビジネス上での長年の自分の課題でもあります。
ガンステッドも、まさに「ゴーイング・エキストラ・マイルズ」の人でした。
Dr.ジョン・コックス著「In the Footsteps of Doctor “G”」(10ページ)には、「彼(ガンステッド)の生きる目的は、できるだけ一人でも多くの患者を診ること、そして可能な限り最高のカイロプラクティック・ケアを提供することだった。そのため、私生活での付き合いや地元のイベントなどには参加できる暇はなかった。常に働きっぱなしだったのだ。(朝7時〜夜12時までクリニックでそのあとは明朝4時まで往診)金銭的な裕福さとライフスタイルの違い:住んでいる家や乗っているクルマ(当時最新のキャデラック)等、地域の人々の中には、ガンステッド夫妻を妬んでよそ者扱いし、「あの夫婦は地域に関わる気がまるでない!」とまで批判する者もいた。では、Dr.Gとは本当はどんな男だったのか?彼は、遠方からやってくる多くの患者達を大切にし、カイロプラクティックに対する熱い思いを持ち続け、巨大なクリニックの経営維持のために常に必死であった。だた、その事実を知り得る者は地域にはほとんどいなかったのだ。その熱意と献身的なその姿を一番よく理解していたのは、彼の患者として通い続けた人々だけだった。」とあります。
巨匠・ガンステッドに憧れる多くの人達の間で、「彼の技術を習得すれば、良い臨床結果が出せ、成功できる!」というスローガンをよく耳にします。Dr.Gの残した理論やメソッドの有効性を真剣に学び、明日の成功を目指し沢山の人がセミナー等のイベントに頻繁に参加しています。これは素晴らしいことですが、ナポレオン・ヒルが解明した成功の黄金律によると、技術にのみフォーカスしているのでは、Dr.Gのようなレジェンドには、どうやらなれないようです。より高い意識と目的を持ち、「この手を通じて奇跡を起こせる!」という揺るぎない確信、それ以上に自分の日々の現場で目の前の一人一人に対し、「ゴーイング・エキストラ・マイルズ」できているか?一人でも多くの患者達にどれだけ自らの時間とエネルギーを献身的に与え続けられるか?この内面的部分こそが重要で、技術の進化や新しい発見もそれに伴って得られるものです。このような目に見えないことこそが、カイロプラクティック・レジェンドになるための必須条件なのではないかと思います。
ドクターガンステッドから教えられる誰も知らないこと(118号掲載)
GCJ代表 ドクタードルフィン 松久 正
これからの霊性時代における新しい医学が、超三次元になるために最も必要なことは、医師(診療者)がなりきっているエネルギーが、患者のなりきるエネルギーと共鳴することである。ドクターガンステッドは、このことを直感的にわかっていた。
彼はこうなると選択し、患者はそうなると受け入れた。
これは、三次元の地球レベルの診療にありがちな、医師の信条や患者の信仰とは、性質を全く異にする。
ドクターガンステッドのブレない意識が、患者のブレない意識と共鳴し、共鳴がおきたところで、唯一、奇跡といわれる結果が生まれる。
彼が教えることで、最も重要かつ不可欠なことは、そういうことである。決して、診療の原理や理論、分析やテクニックではないのである。
彼には、彼にとって最も適した環境があるのと同様に、誰にでも自分だけに最適な環境があることから、誰かの真似をしたとしても、その誰かを超えることはできないということが解る。
誰かを超えて、超一流になるためには、絶対実現という意識に到達するための、自分だけの絶対環境を作り上げることが必要だ。そして、それを可能にする人間存在こそが、自分が関係する患者を、同様な絶対実現の領域に誘うのである。
ドクターガンステッドのビデオを見ていると、魂レベルの自信が伝わってくる。
それは、理論でもなく、テクニックでもない、魂の気迫である。自分の診療にて、目の前の人間を救うという自負でもある。
私は、はるか以前より言っていたように、今ではどの地球人でもできなかったレベルの超次元診療を発信している。ガンステッドだけを、マニアックに追求し、実践した時期がある。その時も、皆に述べていた。「これは、将来への一過程である」と。
ガンステッドが一時代を築いたが、私ドクタードルフィンは、これからの新時代を築こうとしている。私の本は、今や、年間20冊程度、いろいろな出版社から、出版される予定である。
今までの地球にない、新しい情報と発信が、人類と地球を変えるのである。それが、世界の雛型である日本での私の使命だから。
五十にして天命を知る①(117号掲載)
GCJスタッフ 小野弘志DC
今年5月15日で私の施術院「ファミリー・カイロプラクティック」は開業15周年を迎える。このコラムでも以前紹介したが、新店舗に移転して早3年。さらに振り返れば、2002年11月 アメリカから帰国して約17年。まもなく48歳になる私は「知命」の50歳に秒読み、結婚14年目で3人の子宝に恵まれ、未だ子育てに奮闘している。こうして書くと「順風満帆」に感じられる方もおられるだろうが、決してそうとは思えない自分がいる。
なぜなら、ロサンゼルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(LACC)に入学するまでに必要単位取得と英語勉強で3年を費やし、LACC卒業までトータル約7年の歳月・・・つまり、7年分の留学費用は私と家族に膨大な借金をもたらし、その返済に人生の半分以上を要しているからだ。
さて、2002年4月LACC卒業後、私はアリゾナ州フェニックスのガンステッド・ドクター「ジェームス・ウォーリックDC」の下でのアウトターン(学外研修生)を終えようとしていた。アメリカに残るための就労ビザも申請していたので、ここから先は私の就労ビザをサポート(身分保証)してくれるスポンサーのカイロドクターを探さなければいけない。もちろん、ウォーリックDCのようなガンステッド・ドクターにサポートしてもらいながら働くことができれば理想だが、アメリカでは外国人として扱われる日本人の立場は厳しい。そこで、私達日本人留学生はアメリカで開業している日本人カイロドクターにスポンサーになってもらうことが典型的な方法だった。しかし、当時の私は複雑な心境に揺れていた。
LACCの卒業式を見に来てくれた両親を観光旅行に連れて行った。車でロサンゼルスからラスベガス、グランドキャニオン、そしてフェニックスでウォーリックDCから父と母はレントゲンを撮ってアジャストを受けた。ロサンゼルス国際空港から帰国する両親を見送るまでの1週間、私が運転する車のバックミラーは後部座席に座る父と母の姿をいつも映していた。父と母が帰国してから、バックミラーを見るたびに何とも言えない寂しさが残った。
それからある日、私はフェニックスからパワースポットとして有名なセドナに一人旅に出た。セドナで川のほとりにたたずみ、真っ青な空を見上げて「自分の生き方」に思考を巡らせた。
「ヒロシ、あなたがこれからやりたいことは何?」『ガンステッド・カイロプラクティックで人の痛みを癒したい!』
「ガンステッドはアメリカじゃないとできないの?」『いや、日本でもできる。ただ、カイロプラクティックのステータス(地位や免許制度)が確立していない日本ではレントゲン撮影ができない!』
「レントゲンが無いとガンステッドはできないの?」『レントゲンをどこかに委託する方法はあるかもしれない!』
「ヒロシ、あなたは本当にアメリカにいたいの?」『カイロプラクティックができるなら、アメリカでも日本でも構わない!』・・・と心の声が叫んだ瞬間、脳裏に故郷・山形県酒田市にそびえ立つ「鳥海山」が見え、その光景が消えるとバックミラーに映る「父と母」の残像が浮かんできた。
「Go Home、ヒロシ!」『うん、もう家に帰ろう!!』・・・私の肚が据わった。
帰国を決断した後、セドナの真っ青な空に不思議な景色が見えてきた。それは、何度も車で通ったマディソン空港(ウィスコンシン州)からMt.Horeb(マウント・ホレブ)の「ガンステッド・クリニック」に向かう途中に見える・・・広大で何も無く、ただそれしか見えないコーン(トウモロコシ)畑だった。
ガンステッド・カイロプラクティックの魅力とは?なぜみんな憧れるのか?(116号掲載)
GCJスタッフ 江川 哲也DC
今年の春、僕が長年会員として席を置く、GCSS(ガンステッド臨床学会)が「ガンステッド:ザ・アジャスター」という本を出版しました。この著書は、Dr.マシュー・アムマンがおよそ15年以上の歳月をかけリサーチし編纂されたもので、ハードカバーで、414ページ(重さ約4キロ!)のガンステッド・ドクター達にとって待望の一冊です。ここでは、カイロプラクティックとその学校教育体制の趨勢と歴史、ガンステッドの祖先の経緯から予約スケジュールのコピー、そしてマウント・ホレブの巨大クリニックの青写真まで、知られざる「カイロプラクティック・レジェンド」の魅力とその史実を網羅しています。
辺りを見渡せばトウモロコシ畑しかないようなウィスコンシン州のド田舎から「奇跡が起こった!」というウワサが世界中にまで広まり、一日二百人もの患者達が、当時最先端と言われた医療機関や他の医者たちをスルーし、何故「ガンステッド」と呼ばれる無口で小太りな男の元へ車を何時間も走らせ訪れたのか?一流を目指すドクターなら、誰しもが抱く疑問です。
「自分の夢を信じて疑わず、強い願望を持ち、実現するまで辛抱強く行動し続けることが、偉業を成し遂げ富を得るための秘訣である」と、成功哲学の開祖ナポレオン・ヒルが言い残したように、幼少期患った不治の病からの奇跡的回復をきっかけに、ガンステッドは、「アジャストメントのパワー」を誰よりも信じて疑いませんでした。その揺るぎない確信が、彼を結果的に未曽有の規模と診療数を誇ったクリニックを建て、ミラクルマン(奇跡の人)と呼ばれるに至った1番の理由なのではないでしょうか?
前回の記事でも触れましたが、私たちは日頃アジャストメントのパワーをつい過小評価してしまう傾向が強く、特に「できるだけ早く結果を出したい!」と思えば思うほど疑いの心が起こり、ブレてしまいます。
ニュージーランドのDCであり、脳神経科学博士のDr.ヘイディー・ハビックは、正確なアジャストメントが脳に対しポジティブな変化を瞬時に引き起こすことを発見しました。この画期的研究結果は、カイロプラクターにしかできないことが脊柱アジャストメントであり、脳の活性化と患者の意識の進化をもたらすことを証明すると同時に、一時的な症状や痛みの緩和を目的としたものでは根本的にないことをも意味します。この驚くべき事実を胸に、皆さんが来年も地元の「ミラクルマン」を目指し、自身のアジャストメントに確信を持って一人でも多くの人に奇跡と希望を与えるカイロプラクターとして成功していかれることを願ってやみません。
物性から霊性の時代へ(115号掲載)
GCJ代表 松久 正MD,DC
今年になって、いよいよ、人類と地球は、目に見える物質重視の世界から、目に見えない霊性重視の時代に反転しました。
ドクターガンステッドは、人間の背骨という物質を通して、神経の中を流れる「叡智エネルギー」の伝達を脅威的に改善しました。その根底には、彼の「目の前の人を救う」という魂の強い意志がありました。
人類を進化させるには、まずは、人間の根底において身体のエネルギー状態をよくする必要があります。これが基盤であり、これを無視しては、人類が高次元の叡智と繋がることは困難です。
人間が幸せで健康で存在するためには、地球の叡智エネルギーを受け取り、尚且つ、宇宙の叡智が降り注がれていなくてはなりません。その二つが両方バランスよく通っている必要があり、片方だけでは、成り立ちません。
背骨の中の叡智の流れをよくすることは、それぞれの脊椎神経に対応する領域の感情や身体を改善させるだけでなく、宇宙の叡智と地球の叡智を強固に繋ぎ合わせる機能を創造することになります。
カイロプラクティックは、物質に働きかけて、叡智の取り込みをよくする手法ですが、これからの反転した霊性地球では、人類の意識に働きかけて、それを達成していく時代になります。
意識を構成する高次元DNAを書き換える方法を、私は書籍、講演会、動画等で、発信しています。私が提供する情報以上のものはないと自負しています。
そういう自分になれたのも、人間の根底をみる「ガンステッドカイロプラクティック」の習得があったからに他なりません。
私は、過去には整形外科医として、身体にメスを入れる多くの三次元手術を施行していました。いまでは、レーザーや顕微鏡を用いた手術が発達し、医学界では、それらが最先端と言われます。
しかし、これからの新しい地球社会での最先端は、身体に触れなくても、ゼロ秒で高次元DNAをリニューアルする私ドクタードルフィンの超高次元DNA手術になると、実感しています。
それは、魂のガンステッド道から生まれています。
意志あるところにカイロ道(どう)が開ける?(114号掲載)
GCJ スタッフ 小野 弘志DC
ロサンゼルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック(LACC)在学中、昼休みのランチ・ブレークを利用して様々なクラブ活動が営まれていた。AK(アプライド・キネシオロジー)クラブ、SOT(仙骨後頭骨テクニック)クラブ、アクティベータークラブなどのテクニックを学ぶクラブからスポーツカイロ、クリスチャンカイロ、など活動分野、宗教、人種別のクラブまで。
1999年、LACC第3学期にカリフォルニア・パームスプリングスで初めて受講した「ガンステッドセミナー」以来、ガンステッド・カイロプラクティックにハマった私は第4学期目以降、「LACCガンステッドクラブ」に昼休み週2回、放課後もガンステッドクラブの先輩後輩や同級生とテクニック練習会を重ねるようになった。
しかし、そもそもガンステッドセミナーを受講する前までの私は、LACC修羅場のファースト・イヤー(1年目)で解剖学や生理学などのベーシック・サイエンス科目の勉強に追われる毎日で、「カイロプラクティックって一体何なの?」と聞かれたとしても自分の言葉で表現できないカイロ学生だった。
奇しくも、当時の私はプライベートな問題を抱えていた。約2年間、交際・同棲していた女性と第4学期に入った2000年早々、突然破局。LACC卒業後、彼女と結婚するプランが水の泡と消え、同棲を解消してLACC近くのアパートに引越・・・。失恋の痛手で生活リズムが乱れて学業に支障をきたし、心身ともに疲弊していた。 しかし、傷心のドン底に落ちながら、ある言葉が頭に降りて来た・・・「あなたは『何のために』アメリカに留学しに来たの?」
答えは明確だった。
『カイロプラクティックが一体何か知りたい!そして、カイロプラクターになりたい!』
それだけだった。
そんな時、「こんなカイロプラクティックがしたい!そして、こんなカイロプラクターになりたい!」と思わせてくれたのは、アレックス・コックスDCやその息子ジョン・コックスDC、私が師匠と仰ぐDr.ドレスラー先生をはじめとする『ガンステッドセミナースタッフとの出会い』だった。
何よりもガンステッド・カイロプラクターの仕事ぶりに魅了された。具体的に説明すると、患者さまと問診して、その背骨とレントゲンに向き合い、必要な触診や検査をして、サブラクゼーションを限定してアジャスメントを施す。職業と言うより職人みたいなガンステッド・カイロプラクターの後ろ姿に一目惚れしたような心境だった。
それからと言うもの、開催されるガンステッドセミナーを追いかけるように参加した。ガンステッドセミナーで「自分がやりたいカイロプラクティック」を勉強しているときが、言葉に表現できないくらい楽しくてワクワクしていた。
「人間万事塞翁が馬 」・・・失恋を機にガンステッド・カイロプラクティックに出合ってから、私の『本当のアメリカ留学』の道が開いた。
「Leave it Alone. (そっとしておけ)」の本当の意味とは?(113号掲載)
江川 哲也DC
ガンステッドの残した有名な言葉の中に「探せ、受け入れろ、正せ、そしてそっとしておけ(Leave it Alone.)。」がありますが、大学に入るため、ニュートン系物理学をベースにした理数科・医療科学を叩き込まれるだけだった当時の自分には、この言葉の意味を理解できていませんでした。
ドクターとして働き始めたばかりの頃は、自分の知識、経験や技術や新しい情報などを駆使して患者の状態を「何とかしてやろう!」と思えば思うほど、状況はなかなか改善しないケースばかりで、もがけばもがくほど悩みも深まり毎日が面白くありませんでした。
そんな僕に恩師たちは、「テッド(僕の通称)、グリーンブックを読め!」と言ってくれました。100年以上前に書かれたものですから、最初は何が書いてあるのかさっぱりわかりませんでしたが、何度も繰り返し触れていく中で徐々に読めるようになっていきました。
その中で一番衝撃的だったのが、B.J.パーマー著の22巻「ヤツの中に潜む偉大さ」でした。そこには、B.J.がどうやって「イネイト・インテリジェンス」の存在に出会い、委ね行動することが、最終的に最善の結果をもたらしたかを事細かにオムニバス形式で書かれていたのです。闇の中にいた自分に眩しい光が差してきたような気がしました。その本に触れてからは、心の中がなんとなくすっとして、言葉には表せない堅固な確信と余裕が持てるようになっていきました。
アジャストメントをより的確に魂を込めて行い、生命に内秘められた崇高な叡智の無限のパワーと精巧なデザイン、そして人為的な試みや浅はかな今の医学では到底太刀打ちできないイネイト・インテリジェンスに謙虚に委ねる事が奇跡を起こすのです。だからこそ、今まであった頭の中の「教育されたマインド」ではなく、「it:ヤツの中に潜む偉大さ」に任せておけ!というのが、ガンステッドの残した「Leave it Alone:放っておけ!」の本当の意味だったのではないでしょうか?
人類の巨人たちを通して学んだこと(112号掲載)
GCJ代表 松久 正MD,DC
預言者エドガー・ケイシーは、「将来、人類の問題を解決するには、背骨の中を通るエネルギーの流れをよくしなければならない」と言った。
発明家トーマス・エジソンは、「将来の人類は、薬や手術に頼ることなく、背骨と栄養を重視するであろう」
医療巨人クレアランス・ガンステッドは、「医療の若造たちは、背骨調整の威力を誰も理解できていない」
と、それぞれが、それぞれの時代に言い放った。
そもそも、人間の形態を見れば、一目瞭然だ。「人間を生かしているエネルギーは、人間の真ん中にある背骨を通っている」。
われわれ、背骨の生命エネルギーに従事するものは、このことをよく把握していなければならない。そういう重大事に関わることに生きる喜びをもっていなければならない。
その上で、われわれは、人間を生かすそのエネルギーが、とてつもなく繊細であること、かつ、繊細でありながら、とてつもなく力強いことを知っていなければならない。そういうプロフェッショナルこそが、真に人間の人生に関わることができるのである。
追記:本年2018年度の米国ガンステッドカイロプラクティックセミナー・ジャパンは、開催環境の整備を理由に、引き続き、開催を見送ります。環境が整い次第、パワーアップして再開したいと思います。
聖地巡礼~ガンステッド・クリニック~(111号掲載)
GCJスタッフ 小野 弘志DC
今年8月13日のお盆、私は甲子園球場にいた。灼熱のライトスタンドから目に映るのは、キビキビとした動きの高校球児、鮮やかな緑色の芝生、アルプススタンドの均整のとれた応援と歓声、深緑色にそびえ立つバックスタンドと電光掲示板、甲子園球場を取り囲む青い空と白い入道雲。しばらく声を失って立ち尽くす。その瞬間、湧き上がった感情は「あぁ、甲子園は俺のパワースポット!」。
そして、また不思議な感覚に襲われる。「あれっ、この感触、どっかで味わったな・・・?」。
それこそ正に「ガンステッド・クリニック(米国ウィスコンシン州マウント・ホレブ)」を初めて訪れたときと全く同じ感覚だった。
2000年6月、LACC在学中に「ホームカミング」という愛称で呼ばれるガンステッド・クリニックでのガンステッドセミナーを受講するため、セミナー前夜マディソン空港に友人2人と降り立った。そこでは空港で預けた荷物が紛失するというハプニングに始まり、その後レンタカーで24時間営業ストアを探して下着やら歯ブラシを買う珍道中。深夜に着いた指定された宿はホテルではなく民泊、いわゆる「ホームステイ」だった!
夜更けにも関わらずホームステイ先の婦人は、ドクター・ガンステッドが生きていた最盛期(1964年〜1970年代前半)、全米のみならず世界中から訪れた患者やセミナー受講生が泊まる宿泊先が足りなかったため、自らの家を宿泊先として提供した経緯を昔を懐かしむように伝えてくれた。
翌日、初めてのガンステッド・クリニック。遮るものが無い青空の下、広大なクリニック(約5565平方メートル)に度肝を抜かれ、白色のクリニックを色鮮やかな芝が囲んでいる。中に入ると焦げ茶色したクッション長椅子104席の待合室、壁にはドクター・ガンステッドの写真や銅像が存在感を出している。11室もあるアジャスメントルームとレントゲン撮影室、地下には血液検査などができる実験室や私達が使用するセミナー会議室があった。今まで見たクリニックと桁違いの設備と広さ、しかも最盛期はこの待合室が座り切れない人で溢れていたと言う。
マウント・ホレブを去る前、ドクター・ガンステッドのお墓へ足を運ぶ。唯一好んだビールが「ハイネケン」と聞いて、合掌してその瓶を墓前に捧げた。マディソン空港までの帰路運転中、深夜で往路は気づかなかったトウモロコシ畑が目に写る。
「こんなド田舎に世界中から人が・・・ただ、アジャスメントを受けるために来たのか。」と思うと、背筋がゾクゾクした。
2日間のセミナーは「何を勉強したか?」より『ここ(ガンステッド・クリニック)にいること!』の方が何か途轍もなく大きく、それは今も私の生きる礎になっている。
ユズボーイズ(君ら若造)は、アジャストメントのパワーを知らなすぎる!(110号掲載)
GCJスタッフ 江川 哲也DC
約56年間、休むことなく目の前の一人ひとりにカイロプラクティック・アジャストメントをし続けたガンステッド(以下、Dr. G)。
ある休日、釣りに誘われたDr. Gは、友人の待つボートの前にスーツ姿で登場。照れくさそうにDr. Gはこう言った。「クリニックジャケットとセミナー用のスーツしか、持ってないんだ。クリニックジャケットよりスーツの方が、釣りに行くにはいいかと思ってね。」
僕は時々考えます。「一体なぜDr. Gはそこまでして、カイロプラクティックに人生全てを捧げることができたのか?」と。
少年時代患った不治の病からの生還が、彼がカイロプラクターを目指すきっかけだと言われていますが、果たしてそれだけなのでしょうか?
故郷仙台で、患者さんの数も年々増えてくると、自分でも知らず知らずのうちにいい気になって、「休みたい。遊びたい。」と思い始めたことがありました。そんなある日の晩、夢の中で怖い顔したDr. Gが現れこう言いました。「君が遊びに行っても、リラックスしようとしていても気がつけば君はいつも患者のことや、プラクティスのことを考えているんじゃないか?そんなので本気で休みを楽しめるのかい?『カイロプラクター経験が浅い者』とは、患者のために時間とエネルギーを差し出すことを拒むヤツのことを言うんだよ。遊びたいとか、休みたいとか思っているうちは、君はまだアマチュアだよ。僕らカイロプラクターの仕事は、自らの手を使い無私になって他のために奉仕すること。セルフレス・サービスだ。自分のエゴを乗り越え、目の前の患者のイネイトのパワーを受け入れ、休むことなくアジャスメントして行くんだよ。そうすれば20、30年後は素晴らしいカイロプラクターになっているよ。」
目が覚めて、反省しました。Dr. Gは、「ユズボーイズ(君ら若造)は、アジャストメントのパワーを知らなすぎる!」とセミナー参加者たちによく言っていたそうですが、最近僕はこう考えます。長年地道に臨床に励み、患者の中に宿るイネイトの可能性が、アジャストメントをきっかけに解放され、蘇生していくその奇跡を目の当たりにしていくしか、真のパワーは体感できないことをDr. Gは言いたかったのだろうか?と。カイロプラクティックに関わっていく中で、他界するその数時間前まで、アジャストメントをさせていただいた患者さんが過去数人います。家族単位でケアをさせていただいていると、そういう機会が何度か巡ってくるようです。Dr. Gの言う通り、アジャストメントをして、「そっとしておく。」ことがカイロプラクターの役目なので、ただアジャストして帰っただけなのですが、息を引き取った後、オフィスに来た遺族の皆さんは「苦しまず、微笑みながら眠るように息を引き取りました。」と報告してくれました。背中を通る生命力の流れをスムーズにしてあげると、次の人生への旅立ちもスムーズにできるのでしょうか?
仙台に帰郷して早8年になり、一昔前より自分もドクターとして大分進化したとは感じますが、未だに患者さんたちに「毎週アジャスメントを受けてきたお陰で生活習慣や考え方が変わり人生が変わった」と報告してくださる度に、改めてカイロプラクティックの可能性を再確認させられる毎日です。Dr. Gにも、きっとこう言われるでしょう。「まだ君にはわからないのか!カイロプラクターは、セルフレス・サービスだ。」と。
人を救うのはピュアなハート(109号掲載)
GCJ代表 松久 正 MD・DC
近年の現代医学の多くの医師が、自分の行う医療や治療法に多くの疑問を持っています。なのに、平気な顔で自分の患者にそれらを行います。いったい、なぜでしょうか?
それは、実際の現代医学の医療現場で盛んに行われる投薬や注射、手術や放射線治療が効かないばかりか、副作用や後遺症などで苦しむ患者の姿を毎日のように見ているからです。
病気や症状の原因は、血液検査や画像検査のように目に見えるものではありません。それらは本当の原因による、ただの結果に過ぎないのです。検査による異常というものは、人間というエネルギー体の元々の問題を神経の中を流れる身体の叡智が正しく修正していない状態です。その問題を脊椎の配列や椎間板に着目し、その乱れを正すというコンセプトとテクニックを完成させたのが、ドクターガンステッドです。
彼は、米国ウィスコンシン州マウントホレブの街で、毎日、朝から夜遅くまで、数多くの患者を診ました。ほとんど、休む日や時間さえもなかったようです。なにが彼をそこまで、突き動かしたのでしょう?もちろん、自分が生きていくための経済的要素もあったと思いますが、やはり目の前の患者を救いたいという強い想いであったと思います。
ドクターガンステッドの第一の弟子で彼の想いを受け継ぐ、ドクターアレックスコックスは、いつも言っていました。
「何よりも、目の前の患者が第一である」と。
私自身も日々の診療の中で、そのドクターガンステッドやドクターアレックスの姿勢を胸にいつも自分を見つめ直しています。この世の中では、常にいろいろな事が起こり、大切なものを見失いがちです。だからこそ、彼らの想いは、永遠に大切だと感じています。
今年の定例の米国ガンステッドセミナー・ジャパンは、昨年に引き続き、国内参加資格を巡る不確定要素を鑑み、より良いセミナーを来年以降に開催できるよう、考察期間として開催を見送らせて頂きます。近い日に洗練されたセミナーにて皆さんとお会いできるのを心より楽しみにしています。
原点回帰 in アリゾナ(108号掲載)
GCJスタッフ 小野 弘志DC
2002年、LACC(ロサンゼルス・カレッジ・オブ・カイロプラクティック)の卒業を4月に控えていた私は、アリゾナ州フェニックスで開業しているガンステッド・ドクターの下で約4ヶ月間アウトターン(学外研修生)をしていた。
冬でも気候の暖かいアリゾナ州には「Winter Bird(冬鳥)が来る!」と言われていたが、何を隠そう…それはリウマチや慢性関節痛を患う中高年齢層のアメリカ人のことだった。彼らは地元の寒い冬を避けて、関節痛が断然楽になる暖かい気候を求めてアリゾナで冬を過ごすのだ。
朝から気温30度近いフェニックス、私が働くカイロ・オフィスの診療時間は「月・水が午前6時から午後12時、火・木が午後12時から午後6時、土が午前9時から午後12時、金・日が休み」。働き初めの頃は「朝6時に患者さんが来るの?」と思ったが、Winter Birdはアーリー・リタイヤ(早期退職者)層が多く、早起きして朝からゴルフ三昧という感じで、カイロプラクターとWinter Birdの需要と供給が絶妙にマッチしていた。
私のボスであるジェームス・ウォーリックDCは、1人の患者さまに対して約3分から5分を費やし、半日で100人の患者さまを診ていた。
「どうしてこんな朝早く、治療を受けに来るんですか?」と、親しくなった患者さまに私は疑問をぶつけた。すると、彼はこう答えた。
「仕事をする前にアジャストしてもらうと凄くパワーアップして、仕事に集中できるんだ!」
たとえ短時間でも背骨をいつも丁寧にアプローチして適切なアジャストを施す真剣さと時折見せるユーモアのセンス… ボス(ドクター・ウォーリック)は患者さまにとても愛されていた。
ある日、私はギックリ腰になった患者さまからの一報で現地に独りで向かうことになった。その患者さまの部屋に入ると、四つん這いの格好で電話を握り締め、動けなくなっている60代くらいの初老の男性がいた。30分以上かけてその男性をやっとのことで車に乗せた私はオフィスに戻り、まともに歩けない彼を介助しながら汗だくになってボスに引き渡した。ボスは彼の腰にアイシングをした後、素晴らしいアジャストを施した。次の日、ゆっくりだが自分で歩けるようになった彼が、翌日から少しずつ歩幅が広がり、次第に歩行のスピードも速くなって1週間で普通に歩けるようになった。
「Sick people get well.(病人が元気になる) 」という光景を日常の臨床で見ることができたアリゾナでのポジティブな環境と体験が、今の私のカイロプラクターとしての原点になっている。
法則を疑うな。自分自身の意識を問え。(107号掲載)
GCJスタッフ 江川 哲也 DC
学生時代、「The Footsteps of Dr. G」(和訳版:「ガンステッドの真髄」)をセミナー会場で購入し、本の表紙裏に著者のDr.ジョン・コックスから「Stay Strong in Your Philosophy!:哲学を強く持ち続けろ!」という揮毫をいただきました。この本は、著者が日々の診療と毎月開催されるセミナーの運営等の中、書き上げたものでガンステッドの生涯、臨床現場で苦楽を共にしたDr.アレックス・コックスと後継者たちの師への熱い思いや実話が赤裸々に綴られています。セミナーにできるだけたくさん参加してテクニックを極め、躍起になっていた「テクニック至上主義者」の僕にはこの言葉は全く理解できませんでした。大学卒業後、現場に立ってみると、大学で詰め込んだ知識が邪魔をして、患者さんとのコミュニケーションがなかなかとれません。そればかりか、その人の現状の症状や苦しみにフォーカスして、それを自分の知識やテクニックで変えようと焦ってしまい、いつの間にか患者さん自身の本来持つ生命力や希望が見えてくる前に自分が疲れて諦めそうになるのです。その結果、アジャストメントを行う前で挫折してしまい、来なくなるケースで悩みました。そんなある日、ガンステッドがPSC卒業後、オフィスの家賃も払えないほどの経営難に落ち込み、悩んでいたという秘話を思い出し、読んだつもりになっていたDr.ジョン・コックスの本を改めて開いてみました。すると表紙の裏に揮毫していただいた言葉が自分の目に飛び込んできたのです。「そうか、これが今の自分に欠けていたんだ!」と衝撃を受けました。
カイロプラクティックの哲学を知らないままだと「何のため?」という目的観が欠けた状態になります。それはまるで早く目的地につける乗り物に乗っていてもゴールにたどり着けず、迷子になるのと同じです。困難や自己の限界にぶつかった時、それを乗り越えて次のレベルまで進化するチカラは知識やテクニックではありません。ではどんなチカラなのか?そのエッセンスを巨匠たちから受け継げるのがガンステッド・セミナーです。来年は新体制で、Dr.ジョン・コックスをお迎えして開催されます。是非参加してみてください。
『ガンステッド』が私に与えたもの(106号掲載)
GCJ代表 松久 正 MD,DC
整形外科医として国内で現代医療の第一線で働いていた私は、毎日、混沌としていました。何か、本当の自分の道を生きていない気がして仕方がなかったのです。患者の症状にただ病名をつけ、教科書に書いてある通りに治療方針を決め、手術や投薬などを行う姿には、何か本質を見失っているという寂しさがありました。先輩の医師たちと話をしても、「限界だ」「無理だ」「仕方ない」といった悲しい言葉が非常に目立ち、夢と希望といった世界から遠ざかっていました。勉学のために学会へ参加しても、医師の地位欲が強く感じられ、患者を救いたいという熱い思いや意欲が感じられませんでした。
そのような経験を積み重ね、私はカイロプラクティックという新しい境地を求め、渡米しました。最初に入ったLACCでは、医学至上主義の空気が強く、新たに学ぶものがあまりありませんでした。私は、留学期間と費用の増加を覚悟しながら、ダベンポートのパーマー大学へ転校しました。しかし、ここでも私が求めるに値する授業は、唯一「古典的カイロプラクティック哲学」だけだったと感じます。それは、現代の哲学の授業は魂が抜けた現代的道徳にすぎないからです。私は、最後の古典的カイロプラクティック哲学を学べ、パーマーに在籍できた事を必然的な奇跡と思います。
本当に大事なものを学んだところは、Dr.ジョン コックス率いるガンステッドセミナーでした。「治療への情熱」・「学ぶ事への貪欲さ」・「不可能を打ち破る力」の3つを得ることができました。ガンステッドに触れて、ようやく私の魂は癒されました。幼い頃から医師を志し、新しい世界を創るという想いを抱いて来た私には、本当の医療を学ぶことができる感動的なものでした。アイオワから頻繁にマウントホレブのガンステッドクリニック、そしてDr.アレックス コックスの家を度々訪れました。彼の口からは、いつも一切、お金の話は出てきませんでした。常に患者を助ける事だけに、彼の魂は向いていたからです。ガンステッドとDr.アレックスから、私の治療家人生の中で最も重要で治療家として必要なことを学びました。