GCJ便り



五十にして天命を知る②(120号掲載)

GCJスタッフ 小野 弘志DC

2015年12月、私は施術院を山形県酒田市光ヶ丘に移転。「こころとカラダを元気(PEP)にする!」という目的と使命を掲げた開業12年目「ファミリー・カイロプラクティック」の第2ステージからもう既に4年の歳月が経過した。

この間、実はカイロプラクターとして日々の臨床だけでなく、私は「講演家」としての活動を精力的に行ってきた。同じく2015年3月からスタートした講演活動はお陰さまで、これまでの5年間で200回近くにのぼった。現在、私は「一般財団法人日本ペップトーク普及協会」の認定講師で、地元・山形から東北を越えて神奈川・大阪・福岡など全国でペップトークを伝えている。

それでは、そもそも何のために、私は講演活動を始めたのだろうか?

2004年、開業当初「石にかじりついてでも10年続ける」ことが目標だった理由は「人のカラダを10年触って分かる感覚があるのではないか?」と 漠然と感じていたからだ。そして、開業10年を過ぎる頃、ある疑問が浮かんだ。それは、施術でカラダの状態が良くなっているのに、その「良くなっている状態を実感できない患者さま」がいることだった。このような患者さまは感覚的に年間でたった1〜2人の割合。勿論、私の能力・技術・経験不足などで貢献できなかった患者さまは10年間で山ほどいる。しかし、「良くなっている状態を実感できない患者さま」は 何かが違う!何故なら、貢献できているのに貢献できていない・・・近くて途方も無く遠い無力感に襲われるのだ。

そこで、この疑問に対して立てた仮説は「例えカラダの状態が良くなっても、こころのあり方・状態が良くなければ カラダの健康を受容できないのではないか?」。つまり、私達人間は「心身一如」と仏教用語で表されるように「肉体と精神は切り離すことができない一つのもの」。だから、カラダだけでなく「こころ」を満たして初めて『真の健康』を享受できるのだ!じゃあ、「こころを癒すには・・・?」

 2012年2月、私の母が73歳で逝去。その2年前の2010年3月には父が同じ73歳で他界した。父は退職前に肝炎を患い、長期入院から今度はアルツハイマー型認知症を発症。退職後、徘徊・排尿を繰り返す父の介護生活が始まった頃、2002年11月に私が約7年のアメリカ留学から帰国した。要介護度が上がるたびに父は介護施設を転々としたが、最後は脳梗塞で寝たきりになって再び自宅に戻ってきた。父の介護生活に携わった8年間は大変だったが、一緒に週1回温泉施設に行ったこと、結婚して初孫である私の息子を父が抱いた光景は今でも忘れられない。

父の旅立ちと比べて、母は突然この世を去った。働くことが大好きだった母は仕事帰りの運転停車中に心筋梗塞でそのまま旅立った。母の死の直前、母と私の関係は良好では無かった。そんな関係性を残して母との別れが訪れた。母を助ける救急車が1台、その後に消防車両がもう1台サイレンを唸らせて私の(移転前の)施術院の前を通り過ぎた。そして、間もなく母の異変を知らせる電話が鳴った。病院に向かう途中、父の斎場へ向かったときと同じ景色が見えた。真っ青な青空に雪化粧の鳥海山を見た瞬間、私は感じていた・・・もう母がこの世に居ないことを。

 年の離れた2人の姉の下に生まれた長男の私に、両親は特別な愛を注いでくれた。東京の私立大学在学中に柔整専門学校に通学、そしてアメリカ留学まで。無いお金を掻き集めて奔走してくれたのは間違いなく母だった。そんな母に私は一生取り返しのつかない別れをしてしまった。後悔の念から呼吸することが苦しくなった。そして、母の一周忌を終えた2013年3月から私は、呼吸法の加藤俊朗先生に師事して指導を仰いだ。加藤先生と呼吸法の仲間と過ごした時間が私の傷ついた「こころとカラダ」を本当に癒してくれた。

ある日の呼吸のレッスンで加藤先生が「聖書には『はじめに言葉ありき』と書かれている」と語ってくれた。その瞬間、私の背骨にゾクッと電流が流れた。「ああ、そうか!人のこころを癒すのは・・・『言葉』だ!」

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